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中条優希オフィシャル

日本BGMフィルに見た夢(15)(完)

■日本BGMフィルに見た夢

弦の上に弓が降りる。

静かに奏でられるヴァイオリンの音色。

会場が少しずつ音で満たされていく。

 

綺麗な音だな。 

そう感じた。
今夜も変わらず。

2014年11月18日
月光荘サロン 月のはなれ

「新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」の門出だった。
月降る夜の小さなバーから彼らの新しい旅は始まった。
一時は大ホールを一杯にした彼らにとって、寂しいスタートに見えるかもしれない。
しかし、これもまた市原雄亮氏の描く新しい団体の姿なのだろう。
かつてバッハやシューマンといった名音楽家達もカフェなどの小さな場所で演奏し、議論を交わしたという。
欧州を歩くとそういった逸話を持つカフェに多く遭遇する。
街の雑踏を感じるようなささやかな場所から、新しい芸術や文化が花開いていくこともあるのだろう。
音楽の形はひとつではなく、演奏や団体のあり方もひとつではないのだ。

この日の演奏はヴァイオリンとピアノ伴奏というスタイル。
ヴァイオリニストは新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団コンサートミストレスを務める小林明日香氏だ。
人に個性があるように、ヴァイオリニストにも様々な個性がある。
煌めくような奏者もあれば、祈りを捧げるような音を奏でる奏者もいる。
小林氏のヴァイオリンは静かに輝く宝石のようだ。
カットされた宝石が光の当て方で様々な輝きを見せるように、美しい澄んだ音色が曲に合わせて静かに輝く。
コンサートミストレスとして作曲者や指揮者の求める音楽を真摯に再現しようとする彼女の姿勢は、BGMフィルにとって無くてはならない存在だっただろう。
彼女がひとたび弦の音色を響かせれば、バーの喧騒は静かに消えていき、その場所にいる全ての人々が音楽の世界に引き込まれてしまう。
誰かの心を動かし、惹きつけるのは実力と信念に裏打ちされたひとつの強さだ。
この一本芯の通った強さこそが小林明日香氏の音楽家としての魅力であるように思えた。
そして、市原氏とBGMフィルの志を継ぐ者達ならば、大ホールでもバーの片隅でも変わりは無い、どこであってもそこに日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の音を響かせるのだと感じさせてくれる演奏だった。

私はこの15回を通して、日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の魅力を伝えてきた。

日本に初めて誕生したゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ。
彼らは理想と信念を持って立ち上がった。
それだけではない、プロらしい勝ちを掴みに行くしたたかさや、ゲーム音楽の世界に自らの旗を立てようとする気迫があった。
"BGMを表舞台へ。
バックグラウンドではなく主役の音楽へ。"
彼らが掲げた目標を本気で実現するという気概があった。

たったひとりの指揮者から始まった、まだ名前すら無かった管弦楽団は、協力者を募り、志を同じくする演奏者を集め、短期間で立派な管弦楽団として姿を見せ、素晴らしい演奏で観客を楽しませ、ゲームの歴史に自らの存在を刻みつけた。

私は夢を見ていた。
彼らに。
その存在に。

それはどんな夢だろう。

ひとつは、彼らがゲーム全体を包括するような存在となってくれることだった。

コンピューターゲームが世に誕生してからすでに久しい。
その歴史の中で無数と言っていいほどのゲームが現れて消えて行った。
長い歴史での進化と細分化の中で、もはやそれぞれを同じゲームというくくりで認識できないほどに個性化したゲームは、さらにそのジャンル毎に別れて島宇宙化しつつある。
しかしながら音楽は全てのゲームにほぼ共通する要素であり、それぞれの時代、それぞれのジャンルを越えることができる存在だ。
BGMフィルは素晴らしいゲーム音楽であれば過去の作品も現在の作品も、ジャンルやゲーム機の種類を問うことなく演奏していた。
BGMフィルの演奏を聴くということは、ゲームの歴史を俯瞰し、様々なジャンルを凌駕する、縦と横全てを網羅したゲーム音楽、ひいてはゲーム全体を包括すると言っても過言ではないだろう。
それはプロオーケストラという音楽文化の担い手だからこそ可能なことであったと思う。
ばらばらになりかけているゲーム全体を、音楽という力でひとつに繋ぐような存在になって欲しかったのだ。

もうひとつは、長く続いていくオーケストラになって欲しいということだった。
私はBGMフィルにドイツのゲヴァントハウス管弦楽団のようなオーケストラになって欲しいと思っていた。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、世界最古の民間のオーケストラとして知られている。
ライプツィヒには彼らが拠点とするコンサートホールとオペラハウスがあり、常にコンサートやオペラなどの演奏活動を行っている他、教会での演奏や国内外を飛び回るツアーを行っている。
彼らを支える中心になっているのはその成り立ちに相応しくまさに"市民"である。
BGMフィルも基金やClub JBPのような形で支援を市民に求めていた。
企業や自治体に頼り過ぎるのではなく、市民自らが、あくまでも自らの文化や楽しみのために支援していくというゲヴァントハウス管弦楽団の姿は、BGMフィルの良い手本になっただろう。
ゲヴァントハウス管弦楽団を支えるのはまさにライプツィヒの市民が中心になるが、BGMフィルを支えるのは彼らのファン、そしてゲームをひとつの文化として考えて応援するような人々だろう。
BGMフィルが活躍し、ゲームやその音楽を文化として楽しみ、守り、育て、後世へと繋げていきたいと考える人が多くなれば、自然とBGMフィルもゲヴァントハウス管弦楽団のように支えられ、育てられ、長く続いていくだろうと想像していた。
また、プロのオーケストラとして長く活動すれば、プロの演奏家に取っても大きな受け皿になる。
1人のプロの演奏家が誕生するには莫大なコストがかかる。
プロの楽器奏者は子供の頃から楽器に取り組み、人生の大半を演奏技術を磨く訓練にあて、音楽大学などの優れた音楽教育を長い期間に渡って受けている。
しかしながら、彼らの全てが音楽だけで人生を歩んでいけるわけではない。
音大を出ても普通の会社員になり、あるいは家庭に入り、音楽から離れてしまう人も決して少なくは無い。
自らの人生を賭して培ってきた技術も、発揮する場が無くては彼らの音楽を輝かせることはできないのだ。
しかし、プロのオーケストラがひとつできれば、彼らの活躍の場がひとつ増えることになる。
活躍し、研鑽できる場があれば、演奏家達は自らの音楽で人を楽しませ、技術や文化を次の世代へと繋ぐことができる。
彼らの先人達もずっとそうしてきたのだ。
プロのオーケストラにはそういった役割もある。
ゲームとはまたひとつ上のレイヤーで、この国の文化を向上させていくことができるのだ。
日本で大きく花開いたコンピューターゲームという存在が、自らの国の文化を育て、守ると考えるとどんなに素晴らしいだろうか。
ゲームもまた、先人達が積み重ねてきた文化の上で誕生し、花を咲かせたたのだから。

私が夢見たのはそれだけではない。
日本初のゲーム音楽を演奏するオーケストラが、東京だけではなく、日本全国を回って演奏し、やがて海外に招かれ、クラシックやオーケストラの本場である欧州で演奏することだ。
実際世界を飛び回るゲームオーケストラも存在する。
決して夢ではない。
それこそマリオやゼルダを生んだゲーム大国である日本発の管弦楽団というブランドで、音楽の都ウィーンに凱旋することだって全くの絵空事ではないだろう。
日本のクラシック曲が欧州で演奏されるのは並大抵のことではないが、『ファイナルファンタジー』や『ゼルダの伝説』の楽曲が演奏されるのは決して珍しいことではない。
日本のゲーム史の中で燦然と輝く名曲の数々や、BGMフィルを代表する名曲「交響組曲 アクトレイザー」が演奏されたならば、きっと国境を越えて人々を驚かせ、陶酔させることができただろう。

企業の依頼公演や自治体の要請による演奏会なども増えるだろう。
ゲームの音楽収録にも呼ばれるかもしれない。
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団がハリウッド映画の音楽収録に多く呼ばれるように、ゲームに特化した彼らの演奏が評価され、世界中の名だたるゲーム会社から指名されるようになるかもしれない。

活躍を続けていると、やがてBGMフィルから次のステージへと進む奏者も出てくるだろう。
歴史ある管弦楽団から招聘されたり、自らの夢や希望に近いところへと巣立っていく人もいるだろう。
私はそれでいいと思う。
誰かの夢の器になるというのも、私がBGMフィルに見た夢だ。

私がBGMフィルに夢を見たように。
市原雄亮氏はBGMフィルに様々な夢を見たことだろう。
運営に関わった人々も色々な夢を見ただろう。
奏者達も多くの夢を見ただろう。
ファンや演奏会に訪れた人達もまた、それぞれの夢を見たことだろう。

誰もが何かに夢を見る。

他でもない自らの夢を。

あの日私達は夢を見た。
彼らに。
その存在に。

そして再び夢を見る。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団に見た夢が、いつかそれぞれの空の下で実を結び、また新しく誰かの夢をつないでいくことを。

(了)