日本BGMフィルに見た夢(6)
■序曲
もしゲームファンによる国があったなら、国歌はこの曲に違いないだろうと思える曲がある。
誰もが知っていて馴染みがあり、曲自体が心に響いて気分が高揚するような曲だ。
「序曲」
今なお続くドラゴンクエストシリーズを飾るオープニング曲だ。
この曲から「ゲーム音楽」は本格的に幕を開けたと言っても過言ではないだろう。
無論、『ドラゴンクエスト』が登場する前にも数多くの名曲が登場している。
YMOの細野晴臣氏が音楽CDをプロデュースしたことで有名な『ゼビウス』。
すでに大ブームとなっていた『スーパーマリオブラザーズ』。
その他にも『ドラゴンクエスト』に先駆けてゲームファン達を虜にした楽曲は数多い。
コンピューターゲームの祖として知られているアタリの『ポン』から始まったゲームの歴史は、ゲーム音楽の進化の歴史でもあった。
『ポン』のパドルが打ち返すビープ音から始まり、『スペースインベーダー』の迫り来るような印象のバックグラウンド音、PSG音源を得てそれまでとは異なる豊かなサウンドを獲得した『ギャラクシアン』、オープニングやコーヒーブレイクで楽しい音楽を奏でてみせた『パックマン』、そして『ゼビウス』が登場した時にはその世界観を表現するような素晴らしいバックグラウンドミュージックがゲームファンを驚かせた。
ハードの性能が上がりゲーム機の表現力が豊かになるにつれて、単純な電子音は徐々に広がりを見せ、やがてゲームの世界を広げるような「音楽」を獲得するようになる。
すでに先行して進化していたアーケードゲームやパーソナル・コンピューターはもちろんのこと、1983年に登場したファミリーコンピュータも当時としては高い音楽表現力を持っていた。
3音+ノイズという組み合わせで奏でられるゲームミュージックはファミコンの世界を鮮やかに彩っていた。
魅せられたのは当時の子供達やゲームファンだけではなく、多くの開発者達、作曲家達もまた競うようにして自らの音楽をゲームに乗せて送り出していた。
『ドラゴンクエスト』の音楽を作り上げたすぎやまこういち氏もそのひとりだったのだろう。
すでに「学生街の喫茶店」「亜麻色の髪の乙女」などの歌謡曲で数多くの大ヒットを世に送り出しただけではなく、「伝説巨神イデオン」や「帰ってきたウルトラマン」等の映像作品での劇伴曲も高い評価を得ていた氏が、まだ世に生を受けていなかったそのゲームの音楽を手がける。
ゲーム音楽を手がけるきっかけも、熱心なゲームファンであるすぎやまこういち氏が自らソフトメーカーに手紙をしたためたことだというから驚きだ。
すでに歌謡曲の世界やテレビの世界で大きな足跡を残した人物が、まだ小さく、明日どうなっているか見当もつかないようなゲームの世界に自分から飛び込んで行くというのは、よほどのことだったろう。
『ドラゴンクエスト』のカセットをファミコンに差し、電源を入れる。
浮かび上がるタイトルとともに高らかに鳴り響く「序曲」は『ドラゴンクエスト』を象徴するような音楽だ。誰もがこの曲を聴いて冒険に旅立つ。
ファンファーレが鳴り響き、メロディが流れ出すと、それだけで旅立ちの興奮やこれから広がるファンタジーの世界を想像できる。強く成長する主人公、次々に現れる強力な敵、広大なフィールドの開放感、ダンジョンの緊張、様々な情景が曲の中に浮かび上がる。
当時はまだゲームはアクションゲームが主流であり、ほとんど知られていなかったロールプレイングゲームや馴染みの薄かったファンタジーの世界を伝えるために、製作スタッフは心を砕いたという。
すぎやまこういち氏もまたその気持ちを共有していたのだろうと想像する。
ゲーム音楽は通常の音楽と違い、プレイ中は長い時間を聴き続けることになる。
そのため、強いインパクトよりも何時間聴いても飽きない曲を心がけたという。
また、今となっては想像が難しいが、『ドラゴンクエスト』が発売された1985年の当時はまだファンタジー作品が世の中に広く浸透しているわけではなかった。
その頃は「ハリー・ポッター」も「ロード・オブ・ザ・リング」(映画)も無かったのだ。
ファミコン自体も現在のような豊かなグラフィック能力を持つわけではなく、『ドラゴンクエスト』の城内や広野もシンプルなタイルパターンで表現されている。
すぎやまこういち氏は音楽の力でそのイメージを補完していく。
王宮の音楽はバロックやロンドで描かれるなど、中世ヨーロッパを彷彿させるファンタジー世界を、クラシック音楽をモチーフにして伝えている。
今となっては珍しくないが、その頃には画期的な試みであり、それは新鮮な輝きをもって人々に受け入れられたことだろう。
それはある意味、ゲーム音楽が何かを越えようとしていた瞬間でもあった。
『ドラゴンクエスト』が評判になるにつれ、その音楽性の高さも大きな支持を得る。
発売の翌年にはオーケストラによる演奏がCD化されている。
当時は「ピコピコ」と揶揄されることも多かったファミコンゲームの音楽がオーケストラで演奏され、大評判となったのだ。
それは画期的であり、ゲームの歴史に残るようなことだったと言っていいと思う。
小さな電子音から始まったゲームの音楽は、最初は効果音やループのサウンドから徐々に進化を遂げ、やがてBGMとしてゲームの大きな一翼を担うようになり、そして遂には電子の世界を飛び出してひとつの音楽作品として多くの人々を楽しませるに至ったのだ。
この曲からゲーム音楽が本格的に始まったと冒頭に書いた意味をわかっていただけるだろうか。
日本BGMフィルがこの曲を旗揚げ公演の最初に選んだのは必然だったと言える。
金管楽器のファンファーレが鳴り響き、弦楽器がメロディを奏でるとき、会場の人々も演奏者達も始まりを感じたことだろう。
1985年にコントローラーを握ってTVに釘付けになった子供達やゲームファン達のように、何かこれから素晴らしいことが始まることを感じただろう。
日本で初めて生を受けたゲーム音楽を演奏するプロオーケストラが、その第一歩を確実に踏み出したことを感じただろう。