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中条優希オフィシャル

日本BGMフィルに見た夢(3)

アクトレイザーの衝撃

 

アクトレイザー』はゲーム音楽ファンにとって特別な作品だろう。

昔のゲームに詳しい人やスーパーファミコン時代の初期を知っている人はその名前を耳にしたことがあると思う。

アクトレイザー』はプレイヤーが「神」となり、様々な奇跡を起こして人類を発展に導き、人々の手に負えない敵が現れた時には自ら降臨して戦うという、まるで神話のような作品だ。 

その壮大さに合わせて楽曲もまた大きなスケールを感じさせる音楽となっている。

音楽を担当したのはBGMフィルの代表理事である古代祐三氏。

すでにイースシリーズなどで数々の衝撃を業界に与えてきた氏はこの作品でまたもや大きなインパクトを起こす。

 

  有名な逸話がある。 

当時ファイナルファンタジーシリーズの最新作を制作していたチームが、先行して発売された『アクトレイザー』の楽曲の完成度に驚き、開発中だった作品の音楽を作り直したというエピソードだ。

制作や商品開発の経験がある方なら、この出来事がどれほど大きなことかわかっていただけるだろう。

実際にはサンプリングを再度行うなど音楽自体をイチから作り直すという事態では無かったということではあるものの、ファイナルファンタジーという当時からすでに高い音楽性を評価されていた大型タイトルを、まだ定評の無い新規タイトルの作品が大きく揺るがしたという事実は大きな衝撃をもって今も語り継がれている。

 

  『アクトレイザー』が発売された1990年前後は家庭用ゲーム機の性能が飛躍的に上がっている

次世代機戦争と呼ばれるほどに苛烈を極めたメーカー間の競争を経て、ゲーム機は処理能力も容量も上がり、グラフィック性能も、音楽の表現力も大幅に向上した。

長く続いたファミコンの時代が終わり、満を持して登場したスーパーファミコンとほぼ同時にリリースされた本作は、マシンの持つ潜在力を大きくアピールするきっかけとなった作品といって良いだろう。 

機体の持つ高い性能をフルに使っただけではなく、様々な技術的な工夫を凝らして世に送り出された『アクトレイザー』のBGMは明らかにそれまでゲーム音楽と一線を画すような新次元の音楽となっていた。

 

  その後スーパーファミコンファミコンに並ぶ世紀の傑作機として、数多くの名作を生み出していく。 

アクトレイザー』自体は新規タイトルとしては申し分ないヒットとなったが、その後続編が発売されたものの同時期に次々にリリースされていた綺羅星のような名作ソフトの中に隠れ、さらなる続編や次世代機でのリメイクなども無いままゲームの歴史の中で「過去の名作」として評価が固められていく。

  業界に衝撃を与え、高く評価された同作品の楽曲はサウンドトラックのみならず、オーケストラ演奏による「交響組曲アクトレイザー発売されることになる。

ゲーム音楽は数あれど、組曲としてオーケストラで演奏される音楽は決して多くはない。

このことからもアクトレイザーの人気、評価の高さをうかがうことができるだろう。

 

  現在においてもゲームで使用された楽曲を聴くと、その音楽性の高さに打ちのめされる。

管楽器が高らかに鳴り、ずらりと並んだ弦楽器が一斉に弓を動かす姿が目に見えるようだ。

オーケストラを再現させることを念頭に置いただろうそのサウンドは、時に繊細に、神秘的に、あるいは荘厳にと表情を変えながら作品の世界を再現するとともに、どこかゲームを彩るBGMという垣根を超えようとするパワーに満ち溢れていた。

 

  BGMフィルが『アクトレイザーの楽曲を選び、組曲として自分たちの公演の大きな位置に据えたことには大きな意味あったのだろう。 

ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のような誰もが知る名作でもなく、一般に知られていなくてもゲームファンなら知らない人はいない作品、というわけでもない。

しかしながら、ゲーム音楽の歴史の中では非常に大きな作品であること。

組曲にふさわしい壮大なスケールを持った音楽作品であること。

何よりも美しく繊細な旋律とオーケストラの持ち味をフルに活かすような迫力を兼ね備えた、音楽的に素晴らしい作品であること。

BGMフィルが自の代表曲にしようと考えるにふさわしい楽曲であるように思えた。

 

  アンサンブルコンサートの終盤に演奏された「小組曲アクトレイザー」。

美しい弦楽器の調べを聴きながらふと気づいた。

人の良さそうな指揮者。

丁寧に音楽を作り上げるコンミス

ゲーム好きを前面に出した個性豊かな演奏者たち。

 

それだけではなかったのだ。

彼らは単なるゲーム好きな演奏者の集団ではなかった。

ゲーム音楽を演奏するプロオケ、というだけではなかった。

ましてや、夢と希望「だけ」を胸に抱いて演奏しているわけではなかった。

彼らにはゲーム史において重要なその作品を自らの武器にしようとする気概があった。

プロとして勝ちを掴みに行くしたたかさがあった。

自らの掲げる理想をもって音楽の世界に何かを突き立ててやろうという気迫があった。

彼らはWebサイトにこう掲げている。

 

"ゲームという枠を越えた音楽へと昇華させ、ゲーム音楽ファンのみならず、一人でも多くの方とゲーム音楽の良さ、音楽そのものの楽しさを共有したい。"

 

彼らは本気だ。 

BGMフィルは真摯に自分たちが唱えその言葉を現実にしようとしていた

かつて古代氏が自らの楽曲で越えてみせたように、今まさにBGMフィルは越えようとしている。

そう感じさせるような演奏だったことを、今でもはっきりと思い出す。