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中条優希オフィシャル

日本BGMフィルに見た夢(9)

■華龍進軍

日本BGMフィルハーモニー交響楽団の第一回演奏会で6曲目に演奏された曲は、歴史シミュレーションゲーム三國志V』の楽曲「華龍進軍」だった。
長くゲームを楽しんでいる人なら一度は"KOEI"あるいは"コーエー"(現:コーエーテクモゲームス)の三國志信長の野望シリーズをプレイされた方も多いだろう。
コーエーの歴史シミュレーションシリーズは歴史ファンからシミュレーションゲーム好きまで幅広く愛されているシリーズだ。
三國志シリーズは登場から30年を迎え、ナンバリングタイトルは12を数えるコーエイ作品を代表するような作品と言えるだろう。
代を重ねるごとに練り込まれたゲーム内容はもちろんのこと、楽曲の評価も高い。ゲーム音楽ファンからも大きな支持を受けているが、なかなかオーケストラ演奏の機会も少ないため、今回の演奏を楽しみにしていた人も多いだろう。
先立って行われたアンサンブルコンサートでも奏者が演奏してみたい作品として挙げていたひとつに三國志シリーズがあったことを思い出す。それだけファン層が厚く、演奏家の心も揺さぶる作品なのだろう。
 
 『三國志V』の楽曲を作曲した服部隆之氏は現在はドラマや映画の世界を中心に活躍されている。
新撰組!」などの三谷幸喜作品の楽曲がよく知られている他、最近ではドラマ「半沢直樹」が大ヒットしたことも記憶に新しい。
ゲーム音楽を作曲していた音楽家が、その後映画やアニメーションなどゲーム以外の世界で活躍することも珍しくない。
今やアニメファンにはおなじみの菅野よう子氏が初期の信長の野望三國志シリーズなどの楽曲作成に携わったことはよく知られている。
半沢直樹と『三國志V』が実はどこかで繋がっているのだと考えると、ゲームの世界は必ずしも閉じた世界ではなく、開かれた世界と地続きなのだと改めて感じることだろう。
 
 曲間のMCでも説明されたように、この曲はゲーム内で蜀の国に攻め込む際に流れる音楽である。
三国志のファンはもはやご存知だと思うが、蜀の国は三国志に登場する英雄「劉備元徳」が興した国だ。
「華龍進軍」はゲーム内で劉備元徳が治める地域が敵に攻め込まれた際の合戦モードで流れる曲となっている。
蜀の国はまさに三国志の由来になった三国鼎立時代の一角を占めた国とはいえ、劉備玄徳一代で起こした歴史の浅い国であり、関羽雲長や諸葛亮孔明といった現代でもよく知られた英雄・豪傑を擁しながらも他の魏国、呉国に比較すれば圧倒的に国力が小さかったという。
BGMフィルもまた日本初のゲーム音楽を演奏するプロの管弦楽団という触れ込みで立ち上がり、優れたプロフェッショナルの演奏者を集めた楽団ではあるものの、この時点では結成以来まだ1年ほどしか経過していない若い団体である。
ゲーム音楽の世界から離れて見渡せば、この国には音楽界で名を馳せた名演奏家を擁する歴史ある楽団から、若く熱意に溢れた野心的な楽団まで、さながら戦国時代のように大小様々な演奏家集団がひしめいている。
日本は世界的に見ても非常に音楽家の層が厚く、交響楽団の数も多いと言われているのだ。
プロとして旗挙げた以上、立ちはだかるのはもはや自らの音楽だけではないことを肌で感じていただろう。
戦わなくてはならないのが自分自身だけではなくなるということだ。
襲いかかる有形無形の様々な理不尽に抗わなくてはならない時もあるだろう。
BGMフィルの演奏家達はもちろんのこと、指揮者であるとともに音楽監督であり、また代表理事の一人でもある市原雄亮氏の両肩にかかる重責は並大抵のものではなかったに違いない。
強大な敵国を相手に手を携えて立ち向かった英雄達の姿に、BGMフィルと自分自身を重ねたこともあっただろう。
「華龍進軍」は小国が巨大な存在に立ち向かう悲壮感を感じさせる曲だ。
彼らの弦が管が空気を震わせるたびに私達の心に響く。
勇壮の中に見え隠れする悲哀。
奮い立つ心、胸を惑わす不安。
絶望の中にあっても前に進む強い決意。
 

日本BGMフィルに見た夢(8)

■情熱と敬意の交差する場所

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の第一回演奏会が開かれた2013年に、もっとも流れていたゲーム音楽はなんだろう。

ドラゴンクエストシリーズの曲だろうか。

それともファイナルファンタジーの最新作だろうか。

もしかしたらそれは前年に登場したあの作品ではないだろうか。

家で、学校で、電車内で...街の至る所でプレイされていたあの作品ではないだろうか。

『パズル&ドラゴンズ』。

「パズドラ」の愛称で知られるその作品はスマートフォン時代を象徴する重要なゲームだ。

BGMフィルの第一回演奏会で5曲目に演奏されたのは「パズル&ドラゴンズ メドレー」。

作曲はゲーム音楽好きなら誰もが知る音楽家、伊藤賢治氏だ。

パズル&ドラゴンズが登場したのは2012年。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団設立されたのは2012年7月27日なので同い年ということになる

携帯電話のソーシャルゲームが大きな話題になっていた時代に登場し、スマートフォンの普及とともに瞬く間に成長、いつの間にか至る所でプレイヤーを見かけるようになった。

ゲームをしない人でも電車の中などで学生やOLさんといった様々な人々が、色とりどりのドロップを真剣に操作する姿を見たことがあるのではないのだろうか。

BGMフィルがパズドラの楽曲を演奏することを意外に思った人もいるかもしれない

パズドラは2013年当時としてはまだ新しいゲームのひとつであり、ファミコンプレイステーションなどのようなゲーム専用機ではなくスマートフォンを主戦場としている。

しかし、少し考えるとその選択にはやはりBGMフィルらしさが現れていることがよく理解できる

BGMフィルはともすれば古いゲームやマイナーな曲を好んで演奏すると思われている節もあるが、最新の作品やベタと言えるほどの人気曲やヒット作品にも貪欲に取り組んでいる。

オールドゲームやすでに定評のある曲ばかりではなく、趣味に走り過ぎた自己満足や、その反対に観客受けだけを狙うことは無い。

古今東西のゲームを広く見渡し、素晴らしい楽曲に光を当てていくという姿勢は、彼らのゲーム音楽への考え方の柔軟さを表しているといえるだろう。

 

また、パズル&ドラゴンの楽曲で外せないのは伊藤賢治氏の存在だ。

ゲーム音楽ファンなら誰もが知る偉大な作曲家であり、ロマンシング・サガシリーズなどの情緒溢れる壮大な曲の数々に魅せられた人も多いだろう。

BGMフィルもこれまでのアンサンブルコンサートで氏の楽曲を演奏してきた。

第4回アンサンブルコンサートのリハーサルでは伊藤賢治氏自ら指導を行い、「数年後が楽しみ」と語ったという。

奏者と楽団の持つ力を認めて期待を込めつつも、現状に甘んじてはいけない、もっともっと良い演奏ができるという叱咤激励の想いを込めた言葉だろう。氏の暖かい人柄と、長い間ゲーム業界で戦い抜いてきた厳しさを感じることができる。

BGMフィルが伊藤賢治氏の楽曲を選ぶにあたり、サガシリーズなど良く知られた楽曲ではなく、パズル&ドラゴンズを選んだことはおそらく現在進行形の伊藤氏を見せたいという気持ちもあったのではないだろうか。

ゲームの歴史は長くなり、作品によってはすでに30年以上を経過している。

スーパーファミコンなどの据え置き型ゲーム機が覇を競い合って多くのゲームファンが熱狂した時代も20年という月日が経とうとしている。

伊藤氏の代表作のひとつである『ロマンシング・サガ』もその頃の作品である。

ゲーム作曲家ならずともゲーム製作者達は業界華やかなりし頃の作品で語られる傾向がある。

ファンもまたその時代に作られた名作の楽曲を求めることが多いだろう。

もちろん昔の作品に色褪せない魅力があり、古い楽曲に現代の響きを乗せて輝かせるのも演奏家の大切な仕事だ。

しかしながら、伊藤賢治氏はじめ当時活躍した音楽家達の多くは現在もゲーム業界で、あるいは様々な世界で今も活動を続けている。

『パズル&ドラゴンズ』はゲームとしては近年稀に見る大ヒット作となったが、ゲーム音楽としてはまだ評価が固まっていない作品でもある。

ファンの中にはなぜサガシリーズや聖剣伝説シリーズではないのかと考える人もいるだろう。

興行として考えれば昔のヒット作を演奏するほうが一定の集客が見込むことができ、需要を見誤るというリスクは少ない。

演奏する側としても初めてオーケストラで演奏される曲よりも演奏実績の多い曲の方が負担が少ないかも知れない。

しかしながらBGMフィルは新しい、現在進行形の作品を選んだ。

パズドラは近年のゲーム業界を代表するヒット作であり、またスマートフォン時代を象徴するばかりか、ある意味スマホ時代の到来を牽引した重要な作品でもある。

それと同時に現在の伊藤賢治氏の活動を演奏したいという強い気持ちがあったのではないだろうか。

クリエイターを大切にすることはBGMフィルの見られる姿勢のひとつだ。

市原氏をはじめとして彼らはゲームの作り手、とりわけゲーム音楽を作り上げてきた作曲家、音楽家達に常に敬意を払っている。

アンサンブルコンサートや今回の演奏会ではゲーム音楽の作曲家を招いて曲間にトークを行う趣向で観客を楽しませた。

思えば名曲の作曲家、たとえばバッハやベートーヴェンを招いて曲やその背景を解説してもらうことはできないが、ゲーム音楽家は今でも活躍をされている方が多い。

作曲された経緯や時代背景、ちょっとしたエピソードを聞くことができることはファンならずとも嬉しい瞬間だろう。

リラックスしたトークと市原氏のいきいきとした司会は、ゲーム音楽家に抱く尊敬の心が自然にそうさせているように感じられた。

音楽家に抱く尊敬の心はBGMフィルを牽引する大きな力のひとつなのだろう。

 

今回の演奏は『パズル&ドラゴンズ』の「オーケストラ初演」となる。

初演はクラシックの世界において重要な意味を持つ。

世界中のコンサートホールやオペラハウスには、名だたる音楽家の曲が初めて演奏されたということが輝かしい歴史として残され、その街に住む人々の誇りとなっている。

演奏家としても初演を託されるのは名誉なことであり、同時に大きな重責も感じたことだろうことは想像にがたくない。

とりわけプロとしてゲーム音楽を演奏する者としてはなおさらだろう。

彼らの挑戦の中には先人に敬意を表し、彼らが紡いできたゲームの歴史の中に自分たちの手で何かを刻み付けようという強い意思があるように見えた。

 

市原氏のタクトが振られ、日本BGMフィルハーモニー管弦楽団が初めてオーケストラで世に送り出す『パズル&ドラゴンズ』の名曲の数々が会場を満たす時、いつも掌のスマートフォンで見ていたパズドラに新しい輝きが宿る。

何気なく聴いていた曲の中に秘められた壮大な迫力と細やかな仕掛けに気づき、情緒的な「イトケン節」が心深くに歌いかけてくる。

BGMフィルがゲーム音楽を築き上げてきたクリエイター達に贈る最大の賛辞。

それは演奏家達が人生をかけて磨き上げて来た素晴らしい音楽だ。

今でもはっきりと感じることができる。

あの日私達は音楽家達の情熱と演奏家達の敬意が交差する場所にいたのだと。

日本BGMフィルに見た夢(7)

 1252

 "1252"

オールドゲームに詳しい人ならこの数字でピンとくる人も多いだろう。

1252タイトルファミリーコンピュータで発売されたゲームのタイトル数だ。

発売された1983年から最後のタイトルが販売された1994年のおよそ9年間にこれだけ多くのソフトが発売されたことに驚いた方も多いのではないだろうか

ゲーム音楽1本のソフトに10~20曲ほどが収められていることが多い。

初期のゲームは楽曲が少ないため、仮に1本あたり10曲で計算しても実にファミコンだけで12520曲以上の曲があることになる。

 これにスーパーファミコン(1447タイトル)PlayStation(3300タイトル)など他のゲーム機やアーケードゲーム、携帯電話やスマートフォンのゲームも加えれば膨大な数になる。

世の中に一体どのくらいゲーム音楽があるのか見当もつかないような状況だ。

 コンサートでもっとも大事なことのひとつに曲選びがある。

観客を惹きつけて興味を抱かせるのはもちろんのこと、演奏会の目的や雰囲気にあった選曲を行わなくてはならず、自主公演の場合は特にそのオーケストラのアイデンティティを表明することにもなる。

ひとくちにゲーム音楽を演奏するといっても、膨大な作品数の中から曲を選ぶため、楽曲やゲームの知識はもちろんのこと、かなりのセンスやバランス感覚が必要となる。

日本BGMフィルは旗揚げ公演という重要な演奏会にどんな曲を選んだのだろうか。


  ドラゴンクエストシリーズのオープニング曲であり、ゲーム音楽の不朽の名作である「序曲」から演奏会は幕を開ける。

BGMフィルがフルオーケストラで演奏した初めての曲は万雷の拍手をもって祝福された

 

  次に演奏される曲は「グランディアのテーマ」。

BGMフィルらしい選曲だなという印象だった。

 指揮は序曲に続いて日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の創設者であり、音楽監督を務める市原雄亮氏がタクトを執る。

氏の指揮を見るのは初めてだったが、第一の印象として「ノセていく」タイプの指揮者だなと感じた。

奏者たちを上手に乗せてそれぞれの音を引き出していく。

観客を高揚させ、奏者の紡ぎだした演奏をわかりやすく伝えていく。

堂々とした見事な指揮だと感じた。


グランディア』は1997年に発売され、美麗なグラフィックとドラマティックな物語で話題になった名作として知られている。当時本作をプレイし、今でも大切に思っているファンも多いことだろう。

この時代はセガサターンとPlayStationがしのぎを削る次世代機戦争の最中であり、前世代よりも格段に増した機体性能を得てゲームは確実に進化を遂げていた。

とりわけ、ロールプレイングゲームは大幅に向上したグラフィック性能やサウンドを武器に、演出面やキャラクターの表現などで大きな恩恵を受ける。

 同年には『ファイナルファンタジーVII』が発売されており、RPGは新しい次元へと突入し次世代機戦争の華として注目されることとなった。

グランディア』もまたこれまでのRPGとは一線をすような進化したグラフィックや岩垂徳行氏の美しい音楽に彩られ、ファンを虜にしていた。


 

グランディア』は『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』のようにゲームを知らない人でも耳にしたことがあるような、知名度の高い作品とはいえないかもしれない。

しかしながら、その時代を飾った重要な作品であり、今なおファンや当時プレイした人達が大切に思うような作品であることは間違いない。

 BGMフィルはそういった作品に光を当てて時代を超えて輝かせるのだという強い意志を、この選曲を通して感じた

 それはゲームやその音楽を広く愛するファンにとって大きな福音になったことだと思う。

 次に演奏されたのは『ソニックワールドアドベンチャー』の楽曲だ。

ソニックは一時期はアメリカでマリオを追い越す勢いの人気を得た世界的に有名なキャラクターであり、日本のゲームになじみのない海外の人でも彼の名前を知る人は多いだろう。

演奏された「The World Adventure」は駆け抜けてゆくソニックの姿を連想させるような、疾走感のある爽快な曲だ。

コンサートミストレスを務める尾池亜美氏の、スケールが大きくダイナミックな持ち味にぴったりマッチしているように思えた。

続いて演奏される『ソニックロストワールド』のメインテーマ「Wonder World」もまた素敵な曲だ。

 原曲の良さに加え、壮大なオーケストラアレンジはこんなにもゲームの世界を広げてくれるのかと驚いたことを覚えている。

  アンサンブルコンサートの頃から感じていたのは、BGMフィルの企業と連携していく姿勢の強さだった

マンガや小説などが個人に属することが多いのに対して、コンピューターゲームを送り出すのは企業であることがほとんどであるため、ゲーム自体や楽曲の権利を持っているのは企業であることが少なくない。

プロのオーケストラであることは、やはりビジネスのプロである企業と協力していく上で大きなプラスとなったことは想像に難くない。

アンサンブルコンサートのトークで話されていたことだが、市原氏がセガに楽曲の交渉をしに訪れた際に、担当者より新作の発表が予定されていたソニックシリーズの楽曲を提案されたことが演奏のきっかけとなったという。

 このように、ファンや自分達の求める楽曲だけではなく、企業とのシナジーにより新しい価値を提案できるというのもBGMフィルの強みであるように思えた。

 どのような曲を選び、演奏をするかはそのオーケストラの価値観を見せることであり、自らのアイデンティティを示すことになる。

ただ自分達の演奏したい曲や、人気作品やポピュラーな曲だけを演奏するのではなく、ゲーム音楽を広く見渡して様々な楽曲を求め、観客やゲーム音楽の世界に新しい価値を提供していくことがBGMフィルの目指すところであるように思えた

新しい価値を提供することがプロとしてのひとつの使命だとすれば、ここまでの演奏で日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は十分にその任を果たしていると感じた

 

演奏が終わり、会場は盛大な拍手で包まれる。

さあ、次はどんな曲が演奏されるのだろうか。

 

日本BGMフィルに見た夢(6)

序曲

 もしゲームファンによる国があったなら、国歌はこの曲に違いないだろうと思える曲がある。

誰もが知っていて馴染みがあり、曲自体が心に響いて気分が高揚するような曲だ。

 

「序曲」

 

今なお続くドラゴンクエストシリーズを飾るオープニング曲だ。

この曲から「ゲーム音楽」は本格的に幕を開けたと言っても過言ではないだろう。

無論、『ドラゴンクエスト』が登場する前にも数多くの名曲が登場している。

YMO細野晴臣氏が音楽CDをプロデュースしたことで有名な『ゼビウス』。

すでに大ブームとなっていた『スーパーマリオブラザーズ』。

その他にも『ドラゴンクエスト』に先駆けてゲームファン達を虜にした楽曲は数多い。

コンピューターゲームの祖として知られているアタリの『ポン』から始まったゲームの歴史は、ゲーム音楽の進化の歴史でもあった。

『ポン』のパドルが打ち返すビープ音から始まり、『スペースインベーダー』の迫り来るような印象のバックグラウンド音、PSG音源を得てそれまでとは異なる豊かなサウンドを獲得した『ギャラクシアン』、オープニングやコーヒーブレイクで楽しい音楽を奏でてみせた『パックマン』、そして『ゼビウス』が登場した時にはその世界観を表現するような素晴らしいバックグラウンドミュージックがゲームファンを驚かせた。

ハードの性能が上がりゲーム機の表現力が豊かになるにつれて、単純な電子音は徐々に広がりを見せ、やがてゲームの世界を広げるような「音楽」を獲得するようになる。

すでに先行して進化していたアーケードゲームやパーソナル・コンピューターはもちろんのこと、1983年に登場したファミリーコンピュータも当時としては高い音楽表現力を持っていた。

3音+ノイズという組み合わせで奏でられるゲームミュージックファミコンの世界を鮮やかに彩っていた。

魅せられたのは当時の子供達やゲームファンだけではなく、多くの開発者達、作曲家達もまた競うようにして自らの音楽をゲームに乗せて送り出していた。

ドラゴンクエスト』の音楽を作り上げたすぎやまこういち氏もそのひとりだったのだろう。

すでに「学生街の喫茶店」「亜麻色の髪の乙女」などの歌謡曲で数多くの大ヒットを世に送り出しただけではなく、「伝説巨神イデオン」や「帰ってきたウルトラマン」等の映像作品での劇伴曲も高い評価を得ていた氏が、まだ世に生を受けていなかったそのゲームの音楽を手がける。

ゲーム音楽を手がけるきっかけも、熱心なゲームファンであるすぎやまこういち氏が自らソフトメーカーに手紙をしたためたことだというから驚きだ。

すでに歌謡曲の世界やテレビの世界で大きな足跡を残した人物が、まだ小さく、明日どうなっているか見当もつかないようなゲームの世界に自分から飛び込んで行くというのは、よほどのことだったろう。

 

ドラゴンクエスト』のカセットをファミコンに差し、電源を入れる。

浮かび上がるタイトルとともに高らかに鳴り響く「序曲」は『ドラゴンクエスト』を象徴するような音楽だ。誰もがこの曲を聴いて冒険に旅立つ。

ファンファーレが鳴り響き、メロディが流れ出すと、それだけで旅立ちの興奮やこれから広がるファンタジーの世界を想像できる。強く成長する主人公、次々に現れる強力な敵、広大なフィールドの開放感、ダンジョンの緊張、様々な情景が曲の中に浮かび上がる。

当時はまだゲームはアクションゲームが主流であり、ほとんど知られていなかったロールプレイングゲームや馴染みの薄かったファンタジーの世界を伝えるために、製作スタッフは心を砕いたという。

すぎやまこういち氏もまたその気持ちを共有していたのだろうと想像する。

ゲーム音楽は通常の音楽と違い、プレイ中は長い時間を聴き続けることになる。

そのため、強いインパクトよりも何時間聴いても飽きない曲を心がけたという。

また、今となっては想像が難しいが、『ドラゴンクエスト』が発売された1985年の当時はまだファンタジー作品が世の中に広く浸透しているわけではなかった。

その頃は「ハリー・ポッター」も「ロード・オブ・ザ・リング」(映画)も無かったのだ。

ファミコン自体も現在のような豊かなグラフィック能力を持つわけではなく、『ドラゴンクエスト』の城内や広野もシンプルなタイルパターンで表現されている。

すぎやまこういち氏は音楽の力でそのイメージを補完していく。

王宮の音楽はバロックやロンドで描かれるなど、中世ヨーロッパを彷彿させるファンタジー世界を、クラシック音楽をモチーフにして伝えている。

今となっては珍しくないが、その頃には画期的な試みであり、それは新鮮な輝きをもって人々に受け入れられたことだろう。

それはある意味、ゲーム音楽が何かを越えようとしていた瞬間でもあった。

ドラゴンクエスト』が評判になるにつれ、その音楽性の高さも大きな支持を得る。

発売の翌年にはオーケストラによる演奏がCD化されている。

当時は「ピコピコ」と揶揄されることも多かったファミコンゲームの音楽がオーケストラで演奏され、大評判となったのだ。

それは画期的であり、ゲームの歴史に残るようなことだったと言っていいと思う。

小さな電子音から始まったゲームの音楽は、最初は効果音やループのサウンドから徐々に進化を遂げ、やがてBGMとしてゲームの大きな一翼を担うようになり、そして遂には電子の世界を飛び出してひとつの音楽作品として多くの人々を楽しませるに至ったのだ。

この曲からゲーム音楽が本格的に始まったと冒頭に書いた意味をわかっていただけるだろうか。

 

  日本BGMフィルがこの曲を旗揚げ公演の最初に選んだのは必然だったと言える。

金管楽器のファンファーレが鳴り響き、弦楽器がメロディを奏でるとき、会場の人々も演奏者達も始まりを感じたことだろう。

1985年にコントローラーを握ってTVに釘付けになった子供達やゲームファン達のように、何かこれから素晴らしいことが始まることを感じただろう。

日本で初めて生を受けたゲーム音楽を演奏するプロオーケストラが、その第一歩を確実に踏み出したことを感じただろう。

 

今、日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の冒険が幕を開ける。 

 

日本BGMフィルに見た夢(5)

■実現


"このオーケストラについて、「本当に実現できるのかな?」と思ってらっしゃる方も多いと思うんです。ですが、私たちは本気で活動をしているので、どうか期待して、応援していただければと思います。実現した暁には、生でしか味わえない感動をかならずご提供しますので、ぜひ演奏会に足を運んでください。"

 

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であり指揮者である市原雄亮氏は、2012年8月1日にファミ通ドットコムで掲載されたインタビューでこのように答えている。

この時はまだBGMフィルが本格的に動き始めたばかりで、演奏者がいない状態だった。

そんな中で市原氏はゲームや音楽への想いや新しく作られるオーケストラの構想をインタビュアーに語っている。

2013年の演奏会開催を目指す、と宣言したそのインタビューから約1年と2か月。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は旗揚げ公演の日を迎えようとしていた。

 

全6回で行われたアンサンブルコンサートは盛況で終了した。

ゲームや音楽を専門とするメディア以外にも取り上げられ、その実力はゲーム音楽好きの間にとどまらず、広く知られることとなっていた。

公演に訪れた人達がそれぞれにゲーム音楽やBGMフィルへの思いを語っていることを様々な場所で目にすることができた。

Twitterなどに公演を訪れた興奮や感動を書き込む人、ブログに詳細なレポートや厳しい指摘を載せる人、各SNSを通じて指揮者や演奏者に喜びやねぎらい、感謝などの声を届ける人、公式サイトに熱い意見や感想を送り、心の中で大切にしているゲーム音楽を強い想いでリクエストを送った人もいただろう。

直接文章や言葉にしなくても、訪れた人それぞれに感じることがあっただろう。

皆、ゲームや音楽が好きだからその場所を訪れたのだと思う。

 

BGMフィルはそういったゲームや音楽を愛する人達を主軸に置いていた。

私はそう考えている。

団体名を公募したことや旗揚げ当初から演奏するゲーム音楽のリクエストを募集していたのも、そういったファンを中心に据える姿勢から来ていたのだと思う。

また、早期から基金を広く求め、Club JBPという会員制度を作ったことも、ファンや支持者の力に期待していたことがわかる。

クラシックの世界ではオーケストラを国や企業が支援することが多い。

しかしながら、民間の人々の支援によって支えられているケースも少なくない。

特に海外では民間の寄付や支援がオーケストラを運営する大きな力になっている。

無論、国や企業の支援はある。クラシック音楽の本場である欧州では国や自治体が全面的にバックアップすることが多いという。

だが、国や自治体が支援することを了承するのもやはり民間の人々であることも忘れてはならない。あくまで「オーケストラは自分たちにとって必要である」という民意によってなされているのだ。

自分たちが楽しむために自分たちが支えるという文化が根付いているのだろう。

文化を守り育てるのは我々自身である、という姿勢は本当に素晴らしいと思う。

BGMフィルもまたゲーム音楽という文化を自分たちだけではなく、みんなで育てて行きたいと考えていたのだろう。

その思いはどこから来ていたのか。

きっとそれは自らがゲームが好きで音楽を愛しているからだろう。

だからこそ共感し、応援し、様々な形で支援をする多くの人達がいたのだと思う。

ただゲームが好きだから、演奏が良いから、というだけでは人は動かない。

その気持ちに触れた時に、初めて人は行動するのだ。

 

2013年10月11日。

 

かつしかシンフォニーヒルズには金曜日の夜という日程にも関わらず、多くの観客が訪れていた。

皆、ゲームと音楽にそれぞれの想いを持った人達なのだろう。

お気に入りの曲を心待ちにする人もいただろう。

心に秘めた大事な作品の曲が演奏されるのを、期待と不安の中で待つ人もいただろう。

立ち上げ以来BGMフィルを応援してきた人や、特定の演奏者のファンもいただろう。

お手並み拝見、と様子を見に来た同業者や関係者もいただろう。

恋人や友人に誘われてよくわからないまま来た人だっていただろう。

物珍しく見物に来た人だっていただろう。

本当に色々な人がいただろう。

 

それでも、入り口をくぐり、ロビーを歩き、座席についたなら、皆同じくその瞬間を目にすることになる。

 

日本で初めて立ち上がったゲーム音楽を演奏するプロのオーケストラが音を響かせるその瞬間を。

 

日本BGMフィルに見た夢(4)

■日本BGMフィルの成り立ち

  これまで3回の記事で日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の名前を耳にしてから最初のアンサンブルコンサートを訪れるまで思い出しながら、その中で感じたBGMフィルの印象、彼らの中に見た勝算や思いを記してきた

 

日本BGMフィルに見た夢(1)

http://yukilog.hatenablog.com/entry/2014/04/15/080445

 

日本BGMフィルに見た夢(2) 

http://yukilog.hatenablog.com/entry/2014/04/18/080448

 

日本BGMフィルに見た夢(3) 

http://yukilog.hatenablog.com/entry/2014/04/21/231432

 

ここでもう一度、BGMフィルが発足してから最初のコンサートを行うまでの歩みを振り返ってみようと思う。

 

日本初のプロのゲーム音楽オーケストラ団体発足のニュースが流れたのは2012年の5月のことだった。 

当時はまだ「ゲーム音楽プロオーケストラ立ち上げ準備委員会」という仮の名称での立ち上げとなっている。

オーケストラの正式な名称はなんと一般から公募するという。 

奏者もいない、名前さえ無いオーケストラとしてのスタートだったのだ。 

この時点で「ゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ」を強く打ち出していることが興味深い。

また、ファンや外部に門戸を開いて協賛を求めるという特徴のひとつが現れていた。 

そしてほどなく6月には一般公募による正式な名称が決定する

  

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団設立されたのは2012年7月27日

 

国内初となるゲーム音楽を主体に演奏活動を行うプロオーケストラとして誕生する。

代表理事には遠藤雅伸氏、古代祐三氏というゲーム界の偉人とも言うべき両氏が就任している。 

音楽総監督には設立者であり理事でもある指揮者、市原雄亮氏がその任を務める。

 

8月にはCEDEC AWARDS 2012でのBGMフィル初となる演奏が行われたものの、この時点ではまだコンサートマスターや団員は決定していない。 

母体となる管弦楽団や団体を持たずに発足するプロオーケストラは珍しい。 

オーケストラという団体の性質上、プロフェッショナルの演奏者を多く抱える必要があることが大きな理由のひとつだろう。 

2013年の公演を目指すBGMフィルにとって楽団員を集めることは最初に迎えた大きな試練となったことは想像に難くない 

9月にコンサートミストレスが決定し11月楽団員のオーディションが行われている。 

ひとつのオーケストラを作るためには50人から70人という多くの人数が必要でありそのためのオーディションを実施するだけでも並大抵のことでは無かっただろう 

しかも日本BGMフィルはゲーム音楽を主体とする団体であるため従来のクラシック音楽を演奏するオーケストラとはまた違ったメソッドを必要としたように思えた。

数百人におよぶ応募者の実技と面接という膨大なオーディションに審査員として立ち会った市原雄亮氏の採用についての記述が興味深い。

 

"正直な話、今回のオーディションを開催するにあたり、ゲームに理解、愛情があり、かつ力のある奏者というものが、世の中にどれだけいるのか、そして集まってくるのか不安がありました。

 

前述しましたが、今回は実力だけでも、ゲーム音楽への情熱だけでも合格とはしていません。ゲーム音楽の演奏自体は重要ではなく、ただプロオーケストラの奏者というポジションにつきたいという動機の人が来るなら、合格にはしない前提でオーディションを開催しました。そのせいで奏者が全然決まらなくても仕方がないとすら思っていました。

 

それは、蓋を開けてみれば杞憂に終わったわけです。

 

 

 

――こんな楽団が出来るのを心待ちにしていた。

 

――今こそ自分の出番だと思った。

 

――自分がここに入らずにどうするんだ。

 

そんな熱い想いを持った音楽家が集まってくれたのでした。"

 

 

 

市原雄亮氏の公式ブログより

 

代表理事の遠藤雅伸氏もまた自らのブログに「「ゲーム」に想いの深い、腕のある人をしっかり選べるというのは幸せだね」と書いている。

確かな技術とゲームへの想い。

彼らがまだ見ぬ管弦楽団の姿をはっきりと描いていることがうかがえる。 

そして翌年2013年1月28日に楽団員の決定が発表される

 

■その旗のもとに 

   BGMフィルの成り立ちを見ていると、市原雄亮氏達が掲げた旗の元に少しずつ協力者が集まり、コンサートミストレスが決まり、団員が集まり、合唱団が立ち上がり、という形で徐々に育っている。 

最初は一人だったところに一人、また一人とメンバーが集う姿を見て、ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲーム思い浮かべる人も多いだろう。

また、最初はCEDECでの演奏から始まり少人数によるアンサンブルコンサートそしてフルオーケストラによる公演へと段々とスケールアップしていく様も戦略的であり理にかなっているように思え 

RPGに限らずコンピューターゲーム多くが初期段階ではプレーヤーができることが限定されていることが多い。 

その状態から徐々にキャラクターのレベルを上げたり、仲間を増やしていく、またプレーヤー自身が錬度を上げていくにつれ、プレイの自由度が増していき、できること、体験できることが多くなっていく。 

作中の世界もより高い次元へより広い空間へと進んでいき、より深くゲームを楽しむことができるようになっていく。 

BGMフィルもまた、名前さえも持たない小さな存在から始まり、その旗のもとに集う仲間たちと数々の試練を乗り越え、今まさにフルオーケストラと合唱団という華麗な陣容で次の大舞台を迎えようとしている。 

まるで管弦楽団自らがゲームの世界を体現するかのような成り立ちは、彼らにふさわしい姿であるように見えた。 

そして日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は2013年10月11日に旗揚げ公演を迎える 

"BGMを表舞台へ。

バックグラウンドではなく主役の音楽へ。"

彼らが掲げたその言葉は単なるゲームの音楽を演奏するプロオーケストラにとどまらず、ゲームという枠を越えた音楽へと昇華させるという壮大な宣言であり、立ち上げたばかりの団体にとって途方もない夢に見えた。

 

"Beyond the Game Music"

 

そう銘打たれた公演のタイトルには日本BGMフィルの理想への強い思いとそれを実現する自らの力への信念が現れていた。

  

果たして彼らは「越える」ことができるだろうか。

 




日本BGMフィルに見た夢(3)

アクトレイザーの衝撃

 

アクトレイザー』はゲーム音楽ファンにとって特別な作品だろう。

昔のゲームに詳しい人やスーパーファミコン時代の初期を知っている人はその名前を耳にしたことがあると思う。

アクトレイザー』はプレイヤーが「神」となり、様々な奇跡を起こして人類を発展に導き、人々の手に負えない敵が現れた時には自ら降臨して戦うという、まるで神話のような作品だ。 

その壮大さに合わせて楽曲もまた大きなスケールを感じさせる音楽となっている。

音楽を担当したのはBGMフィルの代表理事である古代祐三氏。

すでにイースシリーズなどで数々の衝撃を業界に与えてきた氏はこの作品でまたもや大きなインパクトを起こす。

 

  有名な逸話がある。 

当時ファイナルファンタジーシリーズの最新作を制作していたチームが、先行して発売された『アクトレイザー』の楽曲の完成度に驚き、開発中だった作品の音楽を作り直したというエピソードだ。

制作や商品開発の経験がある方なら、この出来事がどれほど大きなことかわかっていただけるだろう。

実際にはサンプリングを再度行うなど音楽自体をイチから作り直すという事態では無かったということではあるものの、ファイナルファンタジーという当時からすでに高い音楽性を評価されていた大型タイトルを、まだ定評の無い新規タイトルの作品が大きく揺るがしたという事実は大きな衝撃をもって今も語り継がれている。

 

  『アクトレイザー』が発売された1990年前後は家庭用ゲーム機の性能が飛躍的に上がっている

次世代機戦争と呼ばれるほどに苛烈を極めたメーカー間の競争を経て、ゲーム機は処理能力も容量も上がり、グラフィック性能も、音楽の表現力も大幅に向上した。

長く続いたファミコンの時代が終わり、満を持して登場したスーパーファミコンとほぼ同時にリリースされた本作は、マシンの持つ潜在力を大きくアピールするきっかけとなった作品といって良いだろう。 

機体の持つ高い性能をフルに使っただけではなく、様々な技術的な工夫を凝らして世に送り出された『アクトレイザー』のBGMは明らかにそれまでゲーム音楽と一線を画すような新次元の音楽となっていた。

 

  その後スーパーファミコンファミコンに並ぶ世紀の傑作機として、数多くの名作を生み出していく。 

アクトレイザー』自体は新規タイトルとしては申し分ないヒットとなったが、その後続編が発売されたものの同時期に次々にリリースされていた綺羅星のような名作ソフトの中に隠れ、さらなる続編や次世代機でのリメイクなども無いままゲームの歴史の中で「過去の名作」として評価が固められていく。

  業界に衝撃を与え、高く評価された同作品の楽曲はサウンドトラックのみならず、オーケストラ演奏による「交響組曲アクトレイザー発売されることになる。

ゲーム音楽は数あれど、組曲としてオーケストラで演奏される音楽は決して多くはない。

このことからもアクトレイザーの人気、評価の高さをうかがうことができるだろう。

 

  現在においてもゲームで使用された楽曲を聴くと、その音楽性の高さに打ちのめされる。

管楽器が高らかに鳴り、ずらりと並んだ弦楽器が一斉に弓を動かす姿が目に見えるようだ。

オーケストラを再現させることを念頭に置いただろうそのサウンドは、時に繊細に、神秘的に、あるいは荘厳にと表情を変えながら作品の世界を再現するとともに、どこかゲームを彩るBGMという垣根を超えようとするパワーに満ち溢れていた。

 

  BGMフィルが『アクトレイザーの楽曲を選び、組曲として自分たちの公演の大きな位置に据えたことには大きな意味あったのだろう。 

ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のような誰もが知る名作でもなく、一般に知られていなくてもゲームファンなら知らない人はいない作品、というわけでもない。

しかしながら、ゲーム音楽の歴史の中では非常に大きな作品であること。

組曲にふさわしい壮大なスケールを持った音楽作品であること。

何よりも美しく繊細な旋律とオーケストラの持ち味をフルに活かすような迫力を兼ね備えた、音楽的に素晴らしい作品であること。

BGMフィルが自の代表曲にしようと考えるにふさわしい楽曲であるように思えた。

 

  アンサンブルコンサートの終盤に演奏された「小組曲アクトレイザー」。

美しい弦楽器の調べを聴きながらふと気づいた。

人の良さそうな指揮者。

丁寧に音楽を作り上げるコンミス

ゲーム好きを前面に出した個性豊かな演奏者たち。

 

それだけではなかったのだ。

彼らは単なるゲーム好きな演奏者の集団ではなかった。

ゲーム音楽を演奏するプロオケ、というだけではなかった。

ましてや、夢と希望「だけ」を胸に抱いて演奏しているわけではなかった。

彼らにはゲーム史において重要なその作品を自らの武器にしようとする気概があった。

プロとして勝ちを掴みに行くしたたかさがあった。

自らの掲げる理想をもって音楽の世界に何かを突き立ててやろうという気迫があった。

彼らはWebサイトにこう掲げている。

 

"ゲームという枠を越えた音楽へと昇華させ、ゲーム音楽ファンのみならず、一人でも多くの方とゲーム音楽の良さ、音楽そのものの楽しさを共有したい。"

 

彼らは本気だ。 

BGMフィルは真摯に自分たちが唱えその言葉を現実にしようとしていた

かつて古代氏が自らの楽曲で越えてみせたように、今まさにBGMフィルは越えようとしている。

そう感じさせるような演奏だったことを、今でもはっきりと思い出す。