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中条優希オフィシャル

【御礼】日本BGMフィルに見た夢(あとがき)

「日本BGMフィルに見た夢」をお読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。

日本初のゲーム音楽を主体として演奏するプロオーケストラである「日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」の誕生から終焉までを描き、彼らの志や業績を残したいという一心で書き上げました。

ファミリーコンピュータが登場して30年以上が経ち、世の中にコンピューターゲームがひとつの文化として認識され、多くの人々が日常的にゲームに触れるようになりました。
ですが、ゲーム音楽をひとつの音楽として親しみ、オーケストラによる演奏で楽しむという文化や様式はまだまだこれからと言えるでしょう。
本記事でBGMフィルやゲーム音楽に興味を持っていただくことができましたら、これ以上の喜びはありません。

初期から応援してくれた方、途中から見守ってくれた方、最近初めて読んでくれた方、すべての方々に改めてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

中条優希

日本BGMフィルに見た夢(15)(完)

■日本BGMフィルに見た夢

弦の上に弓が降りる。

静かに奏でられるヴァイオリンの音色。

会場が少しずつ音で満たされていく。

 

綺麗な音だな。 

そう感じた。
今夜も変わらず。

2014年11月18日
月光荘サロン 月のはなれ

「新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団」の門出だった。
月降る夜の小さなバーから彼らの新しい旅は始まった。
一時は大ホールを一杯にした彼らにとって、寂しいスタートに見えるかもしれない。
しかし、これもまた市原雄亮氏の描く新しい団体の姿なのだろう。
かつてバッハやシューマンといった名音楽家達もカフェなどの小さな場所で演奏し、議論を交わしたという。
欧州を歩くとそういった逸話を持つカフェに多く遭遇する。
街の雑踏を感じるようなささやかな場所から、新しい芸術や文化が花開いていくこともあるのだろう。
音楽の形はひとつではなく、演奏や団体のあり方もひとつではないのだ。

この日の演奏はヴァイオリンとピアノ伴奏というスタイル。
ヴァイオリニストは新日本BGMフィルハーモニー管弦楽団コンサートミストレスを務める小林明日香氏だ。
人に個性があるように、ヴァイオリニストにも様々な個性がある。
煌めくような奏者もあれば、祈りを捧げるような音を奏でる奏者もいる。
小林氏のヴァイオリンは静かに輝く宝石のようだ。
カットされた宝石が光の当て方で様々な輝きを見せるように、美しい澄んだ音色が曲に合わせて静かに輝く。
コンサートミストレスとして作曲者や指揮者の求める音楽を真摯に再現しようとする彼女の姿勢は、BGMフィルにとって無くてはならない存在だっただろう。
彼女がひとたび弦の音色を響かせれば、バーの喧騒は静かに消えていき、その場所にいる全ての人々が音楽の世界に引き込まれてしまう。
誰かの心を動かし、惹きつけるのは実力と信念に裏打ちされたひとつの強さだ。
この一本芯の通った強さこそが小林明日香氏の音楽家としての魅力であるように思えた。
そして、市原氏とBGMフィルの志を継ぐ者達ならば、大ホールでもバーの片隅でも変わりは無い、どこであってもそこに日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の音を響かせるのだと感じさせてくれる演奏だった。

私はこの15回を通して、日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の魅力を伝えてきた。

日本に初めて誕生したゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ。
彼らは理想と信念を持って立ち上がった。
それだけではない、プロらしい勝ちを掴みに行くしたたかさや、ゲーム音楽の世界に自らの旗を立てようとする気迫があった。
"BGMを表舞台へ。
バックグラウンドではなく主役の音楽へ。"
彼らが掲げた目標を本気で実現するという気概があった。

たったひとりの指揮者から始まった、まだ名前すら無かった管弦楽団は、協力者を募り、志を同じくする演奏者を集め、短期間で立派な管弦楽団として姿を見せ、素晴らしい演奏で観客を楽しませ、ゲームの歴史に自らの存在を刻みつけた。

私は夢を見ていた。
彼らに。
その存在に。

それはどんな夢だろう。

ひとつは、彼らがゲーム全体を包括するような存在となってくれることだった。

コンピューターゲームが世に誕生してからすでに久しい。
その歴史の中で無数と言っていいほどのゲームが現れて消えて行った。
長い歴史での進化と細分化の中で、もはやそれぞれを同じゲームというくくりで認識できないほどに個性化したゲームは、さらにそのジャンル毎に別れて島宇宙化しつつある。
しかしながら音楽は全てのゲームにほぼ共通する要素であり、それぞれの時代、それぞれのジャンルを越えることができる存在だ。
BGMフィルは素晴らしいゲーム音楽であれば過去の作品も現在の作品も、ジャンルやゲーム機の種類を問うことなく演奏していた。
BGMフィルの演奏を聴くということは、ゲームの歴史を俯瞰し、様々なジャンルを凌駕する、縦と横全てを網羅したゲーム音楽、ひいてはゲーム全体を包括すると言っても過言ではないだろう。
それはプロオーケストラという音楽文化の担い手だからこそ可能なことであったと思う。
ばらばらになりかけているゲーム全体を、音楽という力でひとつに繋ぐような存在になって欲しかったのだ。

もうひとつは、長く続いていくオーケストラになって欲しいということだった。
私はBGMフィルにドイツのゲヴァントハウス管弦楽団のようなオーケストラになって欲しいと思っていた。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、世界最古の民間のオーケストラとして知られている。
ライプツィヒには彼らが拠点とするコンサートホールとオペラハウスがあり、常にコンサートやオペラなどの演奏活動を行っている他、教会での演奏や国内外を飛び回るツアーを行っている。
彼らを支える中心になっているのはその成り立ちに相応しくまさに"市民"である。
BGMフィルも基金やClub JBPのような形で支援を市民に求めていた。
企業や自治体に頼り過ぎるのではなく、市民自らが、あくまでも自らの文化や楽しみのために支援していくというゲヴァントハウス管弦楽団の姿は、BGMフィルの良い手本になっただろう。
ゲヴァントハウス管弦楽団を支えるのはまさにライプツィヒの市民が中心になるが、BGMフィルを支えるのは彼らのファン、そしてゲームをひとつの文化として考えて応援するような人々だろう。
BGMフィルが活躍し、ゲームやその音楽を文化として楽しみ、守り、育て、後世へと繋げていきたいと考える人が多くなれば、自然とBGMフィルもゲヴァントハウス管弦楽団のように支えられ、育てられ、長く続いていくだろうと想像していた。
また、プロのオーケストラとして長く活動すれば、プロの演奏家に取っても大きな受け皿になる。
1人のプロの演奏家が誕生するには莫大なコストがかかる。
プロの楽器奏者は子供の頃から楽器に取り組み、人生の大半を演奏技術を磨く訓練にあて、音楽大学などの優れた音楽教育を長い期間に渡って受けている。
しかしながら、彼らの全てが音楽だけで人生を歩んでいけるわけではない。
音大を出ても普通の会社員になり、あるいは家庭に入り、音楽から離れてしまう人も決して少なくは無い。
自らの人生を賭して培ってきた技術も、発揮する場が無くては彼らの音楽を輝かせることはできないのだ。
しかし、プロのオーケストラがひとつできれば、彼らの活躍の場がひとつ増えることになる。
活躍し、研鑽できる場があれば、演奏家達は自らの音楽で人を楽しませ、技術や文化を次の世代へと繋ぐことができる。
彼らの先人達もずっとそうしてきたのだ。
プロのオーケストラにはそういった役割もある。
ゲームとはまたひとつ上のレイヤーで、この国の文化を向上させていくことができるのだ。
日本で大きく花開いたコンピューターゲームという存在が、自らの国の文化を育て、守ると考えるとどんなに素晴らしいだろうか。
ゲームもまた、先人達が積み重ねてきた文化の上で誕生し、花を咲かせたたのだから。

私が夢見たのはそれだけではない。
日本初のゲーム音楽を演奏するオーケストラが、東京だけではなく、日本全国を回って演奏し、やがて海外に招かれ、クラシックやオーケストラの本場である欧州で演奏することだ。
実際世界を飛び回るゲームオーケストラも存在する。
決して夢ではない。
それこそマリオやゼルダを生んだゲーム大国である日本発の管弦楽団というブランドで、音楽の都ウィーンに凱旋することだって全くの絵空事ではないだろう。
日本のクラシック曲が欧州で演奏されるのは並大抵のことではないが、『ファイナルファンタジー』や『ゼルダの伝説』の楽曲が演奏されるのは決して珍しいことではない。
日本のゲーム史の中で燦然と輝く名曲の数々や、BGMフィルを代表する名曲「交響組曲 アクトレイザー」が演奏されたならば、きっと国境を越えて人々を驚かせ、陶酔させることができただろう。

企業の依頼公演や自治体の要請による演奏会なども増えるだろう。
ゲームの音楽収録にも呼ばれるかもしれない。
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団がハリウッド映画の音楽収録に多く呼ばれるように、ゲームに特化した彼らの演奏が評価され、世界中の名だたるゲーム会社から指名されるようになるかもしれない。

活躍を続けていると、やがてBGMフィルから次のステージへと進む奏者も出てくるだろう。
歴史ある管弦楽団から招聘されたり、自らの夢や希望に近いところへと巣立っていく人もいるだろう。
私はそれでいいと思う。
誰かの夢の器になるというのも、私がBGMフィルに見た夢だ。

私がBGMフィルに夢を見たように。
市原雄亮氏はBGMフィルに様々な夢を見たことだろう。
運営に関わった人々も色々な夢を見ただろう。
奏者達も多くの夢を見ただろう。
ファンや演奏会に訪れた人達もまた、それぞれの夢を見たことだろう。

誰もが何かに夢を見る。

他でもない自らの夢を。

あの日私達は夢を見た。
彼らに。
その存在に。

そして再び夢を見る。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団に見た夢が、いつかそれぞれの空の下で実を結び、また新しく誰かの夢をつないでいくことを。

(了)










日本BGMフィルに見た夢(14)

■幻の第二回公演

 
2014年3月8日。
 
素晴らしい演奏会だった。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団  第二回演奏会 昼の部を聴き終えた私は、晴れ晴れとした気持ちで客席を後にした。
ロビーでは会場で偶然居合わせたゲーム音楽好きの知人と彼女の小さなお子さんが手を振って待っていてくれた。
ファミリー向けと銘打たれた昼公演は低年齢のお子さんでも参加できることもあり、彼女はまだ幼い我が子と一緒にコンサートを楽しむことができたのだ。
周りを見ると、同じように小さな子を連れた家族が多く見られた。
どの子も大好きなゲームの名曲の数々や本物のオーケストラに触れた興奮で、はしゃぎ回ったりお気に入りのフレーズを口ずさんだりとご機嫌な様子だ。
 
オーケストラの演奏会は就学前の児童が入れないことが多く、小さな子供のいる家族はなかなか参加することが難しい。
しかし、ファミリー向けの演奏会という形で小さな子供連れでも大丈夫なように配慮されたコンサートならば、今まではゲーム音楽の演奏に興味を持ちながら参加できなかった親御さん達も安心して足を運ぶことができるだろう。
ファミコン全盛時代に子供時代を過ごした世代は、すでに家庭を持ち、小さな子供がいるくらいの世代となっている。
母数も多く、ゲームと共に育ってきた最初の世代でもあるためゲームへの理解や愛着が身についている世代でもある。
そういった層を掘り起こすことはマーケティングという観点からも正鵠を得ていると言えるだろう。
何よりも社会の重要な担い手であり、仕事に子育てにと最も忙しいだろう世代が安心して楽しめるエンターテインメントを届けることは、音楽家にとって重要な役割であり、また大きな強みとなることをBGMフィルは認識しているのだろう。
会場で家族や友人達とゲーム談義や昔話に花を咲かせる親御さん達の楽しそうな姿は実に良いものだったのだ。
 
もちろん、子供達は今も昔もゲームの大切なパートナーだ。
普段無心で楽しんでいるゲームから流れている音楽が、プロのオーケストラが奏でる素晴らしい音色でホールを満たすという経験は、何にも代え難い体験となるだろう。
演奏会をきっかけに、自分で音楽を奏でてみたいという子も出てくるかも知れない。
BGMフィルに触れたことで音楽を志す子供達が出てきたならば、奏者達は嬉しく、誇らしく思うことだろう。
彼らもまた子供の頃に素晴らしい演奏や音楽家に出会ったことでその道を志したのだろうから。
この会場に集まった子供達が今日の演奏会を通じてもっとゲームやゲーム音楽を好きになって欲しいと思う。
そして何かを好きになるということがどんなに素晴らしいことなのかを感じ取って欲しいと思う。
私は幸せそうに駅へと向かう知人とお子さんを見送りながら、そんなことを考えていた。
 
ここで、昼の部で演奏された曲を紹介しよう。
 
第二回公演のトップバッターはモンスターハンターシリーズより「英雄の証」だ。
”モンハン”は携帯ゲーム機の新時代を作ったと言っていいだろう。
友人や仲間、同僚と"ひと狩り行く"というゲームスタイルは高性能になった携帯ゲーム機の力をフルに活かし、かつてみんなでファミコンをワイワイと楽しんだというゲームの原初的な楽しさを再現させたといえるだろう。
まさに子供から大人まで楽しめるこのゲームでBGMフィルのファミリー向け公演はスタートする。
続いて演奏されたのはパズル&ドラゴンズ メドレー。前回でも演奏された曲の再演となる。
心待ちにしていたファンも多いだろうし、もう一度聴きたいと願っていた前回の参加者も多いだろう。もちろん私もそのひとりだ。
続いて演奏は発売されたばかりの『パズドラZ』の楽曲へ。
伊藤賢治氏の最新のサウンドが早くもオーケストラとして聴くことができることに喜んだファンも多いだろう。今回もまた一層深みを増した”イトケン節”に魅せられた観客が多かったことは間違いない。
この後もソニックシリーズポケットモンスターシリーズという問答無用な超有名タイトルの楽曲が続く。
様々な世代の子供達がまるで自分の友達のようにして親しんだ名作ばかりだ。
ああ、私達はゲームを通じて大人になったのだな、と聴いているだけで胸が熱くなるようだった。
そして昼公演の最後を飾るのはドラゴンクエストシリーズの名曲の数々。
すぎやまこういち氏が指揮するドラクエシリーズを始めとした自らのゲーム音楽の演奏会はまさに「ファミリー・クラシック・コンサート」と題されてる演奏会が多い。
もともとドラクエは”ファミリー”コンピュータで発売されたこともあり、また当時の主なゲームプレイヤーはやはり子供たちだった。
ゲームとともに育った現代の大人達とは違い、当時の父親母親達の多くは自分達の子供時代には存在しなかったコンピューター・ゲームというものに対してよくわからないという感覚を持っていただろう。
そんな中で、すぎやまこういち氏は子供たちだけではなく家族で楽しむ「ファミリー・クラシック・コンサート」として招き、ゲームは決して親から子供を引き離すような存在ではなく、ともに楽しむことができるのだという意味を込めてファミリー・クラシック・コンサートと銘打ったのではないだろうか。
新旧の名曲が見事な演奏で繰り広げられるたびに、会場を訪れた大人も子供も同じように目を輝かせて拍手を送る。
アンコールの『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の「序曲のマーチ」は皆まさに童心に帰って、会場がひとつの気持ちとなって、最早定番となった手拍子を楽しんだことだろう。
こうしてBGMフィルの第二回演奏会 昼の部
ファミリー向け公演は大盛り上がりで終演した
 
さて、これから待っているのは夜の部だ。
 
『アンリミテッド・サガ』の序曲
龍が如く』に『魔界村』と、まさにこれでもかとばかりに往年のゲームファンが喜ぶような楽曲や作品が並んでいる。
そして今回は2013年の最大級の話題作『艦隊これくしょん』の楽曲が演奏される。
楽しみにしていた"提督"達も多いことだろう。
BGMフィルは近年の話題作にも貪欲に取り組む。
人気作品であろうが、マイナー作品であろうが、オールドゲームも、発売されたばかりの作品でも、素晴らしいゲーム音楽であれば積極的に演奏することはこれまでの公演から明らかだろう。
最後に演奏される「交響組曲 ライブ・ア・ライブ」(合唱付き)も見逃せない楽曲だ。
さらに磨きがかかったBGMフィルハーモニー合唱団の歌声も楽しみである。
「交響組曲アクトレイザー」に続いて、またひとつBGMフィルの看板曲が増えることだろう。
アンコールはなんだろう?
前回に続き、MOTHERシリーズの楽曲だろうか。
それとも別の有名作品だろうか。
マイナーな作品、知る人ぞ知るような名曲だろうか。
それとも市原氏がたびたび口にする「君はホエホエ娘」がついに演奏される
ただひとつだけ言えるのは、どんな曲であろうとも、観客を楽しませ、ゲームやゲーム音楽の作り手達、そして様々な形でゲームの歴史を作ってきた人々に敬意を捧げるような演奏であることは間違いない。
会場に集う観客たちも、出番を待つ奏者も、指揮者も。
幕が開くその時を待っている。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の新しい物語が始まるその瞬間を。
 
 
第一回演奏会で予告されながらも、残念ながら幻となってしまった第二回公演を、2014年3月1日に公開された市原氏のブログを参考に再現してみた。
市原氏は記事の中で第二回公演の演奏曲案を公開している。
 
3月8日の公演について
 
 実際はBGMフィルが描いていた姿とは違うかもしれないし、本当に実現されていたなら本記事とは異なった内容となっていたかもしれないが、ここはあくまでも"If "の世界ということで御容赦願いたい。
 
市原氏が掲げた第二回公演の構想は、心が踊る内容だった。
メジャーにもマイナーにも振れすぎないバランス感があり、サービス心旺盛、そして観客を驚かせるようなサプライズが用意されている。
BGMフィルらしさに溢れた選曲だと感じた。
昼夜ともに個性があり、どちらの公演に参加した人も満足な気持ちで帰途に着くことができたはずだ。
 
なぜBGMフィルは終りを迎えなければならなかったのだろう。
 
形式的な案内の他は何も説明はない。
"発展的解消"という言葉に何の意味があり、どういう理由でそうなったかは誰からも説明は無かった。
ネット上でも様々な噂や憶測が飛び交ったが、本質に近づくようなものではなかった。
 
5月になって市原雄亮氏はひとつの記事を自らのブログに記している。
 
日本BGMフィルの今後について~前編
 
市原氏の言葉を引用する。
まず、日本BGMフィル解散に至るまで何があったのかにつきましては、何を書いても、どんな書き方をしても誰かしらをdisってしまう結果になると思われ、得をする人がいないと思われますし、私もそれは望みませんので、ここでは伏せさせていただきます。
 
さて、客観的事実としてお伝えしておきたいのは、日本BGMフィルの解散について私が決めたですとか、私が希望したという事実はございません。発起人ですから、私の意向で決まったと思われている方もいらっしゃるかと思いますが、それは事実ではありません。10月の第1回公演までの方針、コンセプトは私の意思を基に決定してまいりましたが、それ以降のオーケストラの動きに私の意思は反映されていません。

 2012年の1月、何もないすべてゼロの状態から始め、名称募集、法人化、オーディションという過程を経て、1年半以上にわたり時間と労力をかけて作り上げたものですので、解散させたいと思うはずがないのです。また、私は実利よりも、義理や人情を優先してしまう傾向があるようでして(だからビジネスマンには向いていないのだと思いますが)、1,500通近い熱い応募から選ばせていただき、ようやく世間様に知られてきた日本BGMフィルという名前を無くすという事は私の発想には一切ない事です。命名者様に申し訳が立ちません。
 
市原氏は言葉を選びながら心情を語っている。
自らが立ち上げ、苦労して育て上げたオーケストラが無くなるということはいかに無念なことだろうか。
本当ならば言いたいことのひとつやふたつでは済まないだろう。
しかし、市原氏は解散に至るまでの経緯については前述の通り口を閉ざしている。
 
いったい何が原因なのだろう。

収支だろうか。
オーケストラを取り巻く環境は厳しい。
元々プロのオーケストラは音楽大学等の専門機関で高い音楽教育を受けた演奏家を何十人と抱える必要があり、さらにステージマネージャーや事務、広報などの運営スタッフが必要になる。
コンサートを行うためには、会場の費用を始め、著作権料、スタッフの人件費、チラシやプログラムなどの印刷など莫大なコストがかかる。
作曲から何百年も経過しているクラシック音楽と異なり、ゲーム音楽は多額の著作権料が発生するのが一般的だ。
コンサート会場は大きめのホールでも1000人から2000人という収容力しかないので、集客力は必然的に低い上限が生じる。
非常にハイコストローリターンな形態と言えるだろう。
プロのオーケストラは元々"儲からない"のだ。
以前読んだ試算では日本最大のオーケストラと言えるNHK交響楽団でさえ、コンサートチケットだけの収支では今の何倍もの価格で売らないと運営ができないという。
そのため多くの団体はスポンサーとなる自治体や企業を持つか、あるいは助成金や依頼公演といった形で自主公演や運営の費用を賄うことになる。
しかし、そういった資金援助や企業や教育機関などからの依頼を得るにはそのオーケストラが様々な場面で活動し、社会的な意義のある存在であることを認められる必要があり、そのためには地道な活動と実に長い年月がかかることは想像に難くない。
母体を持たないプロオーケストラがほとんど無いことにはこういった理由もあるのだろう。

元々儲からないという商売をするならば、取る行動は2つしかない。
やめるか、儲かるまで続けることだ。
続けると決めたならば、歩き出したばかりの不安定な収支に踊らされず、腰を据えて挑むのが経営者、運営責任者というものだろう。
BGMフィルは立ち上がったばかりの交響楽団だ。
第一回公演のような記念する演奏会では収支を気にせずに素晴らしい演奏とステージで観客を大喜びさせて、訪れた人には熱心なファンになってもらうくらいが当たり前ではないだろうか。
開店したばかりのお店が赤字を覚悟で開店セールをするようなものだ。
もしそれでも続けるのが難しいならいくらでも形態を変えて演奏活動を続けることだってできただろう。
元々たった一人から始まった管弦楽団なのだから。

 
集客数だろうか。
公式な発表は無いが、私の感覚では第一回公演の会場は7割ほどは埋まっていたように見えた。
席も一部を除いて完売だったという。
かつしかシンフォニーヒルズは席数1311と、オーケストラ演奏としては大きなホールと言える。
立ち上がったばかりのプロオーケストラが座席の7割を埋めることができたならば、褒められても良いくらいだろう。
日本のみならず、クラシックの本場欧州でも集客には苦しんでいる。
今時はベルリンフィルなど超有名どころが来日でもしない限り、演奏会を満席にすることは難しいと言われている。
私自身も誰もが知る名演奏家のコンサートで空席が目立つのを見て、現代の興行の難しさを感じたことがある。
ゲーム音楽の演奏会も同様と言えるだろう。
それを考えれば今までのBGMフィルと運営サイドは十分に良い仕事をしていたと言うことができるのではないか。
 
収支や客数はひとつの要素ではあるが、それはあくまでも結果である。
オーケストラの本懐は素晴らしい音楽を観客に届け、これまで音楽家達が繋いで来た偉大な文化を未来に渡して行くことだ。
 もし誇れることが満席の数や収益しかないのであれば、それはそれ以外に誇ることが無いということなのだろう。
 
最後にひとつだけ。
 
何かを引き継ぐ、というのはその業績や看板だけでなく、創業の理念やスタイル、あるいは問題点や負債にいたるまで全て敬意を持って受け止め、未来へと繋いでいくことだろう。
創業者や中心メンバーを追い、ファンが愛した名前を消滅させ、理念も志も方針も全て無きものとして書き換え、価値のある看板だけをこっそり自分達にかけかえることは何かを引き継ぐということなのだろうか。
もしそういうことが行われたとするならば、人は何と呼ぶだろうか。
そのようなやり方で、本当に人の心を動かす芸術を創造することができるだろうか。
 
自分達には自分達の理念があり、自らの才能とスタイルで人を楽しませたいと思うことはいいことだ。
だがそれは誰かの力を借りて、掠め取るようにしてすることなのだろうか。
自らの力と理念を信じるのならば、たった一人でも行動し、仲間と支援者を集め、自らの力をもって堂々と旗を立てればいいことだ。
かつて、ひとりの無名の指揮者がそうしたように。
 
そしてこれだけは言っておきたい。
日本で初めてのゲーム音楽を主体とするプロオーケストラと名乗ることができるのはたったひとつ。
もし名乗る資格を持つ団体があるとするならば、それはその名と理念を受け継いだ者達である。
そのことだけは忘れないでいて欲しい。
 
こうして日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は終焉を迎えた。
ゲーム音楽を主体として演奏するプロフェッショナルオーケストラ」は、6回のアンサンブルコンサートと、最初で最後となったフルオーケストラによる演奏会を行い、立ち上げからわずか2年足らずという短さで消えて行った。
 
BGMを表舞台へ。
バックグラウンドではなく主役の音楽へ。
 
その崇高な理念とともに。

日本BGMフィルに見た夢(13)

■暗転

(いったい何があったんだ…)
 
2014年3月8日。
 
BGMフィル第二回公演の昼の部を聴き終えた私は動揺を隠すことが極めて難しかった。
会場で居合わせた知人を見送り、ひとりになると公演を振り返り思索を巡らせた。
演奏は素晴らしいものだった。
しかし他の全てが第一回と異なっていた。
いったい何があったのだろうか。
たった数ヶ月の間に。
 
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団の第一回公演は大盛況の中で幕を閉じた。
会場で耳にした評判はもちろんのこと、ニュースサイトやブログ、SNSなどの反応を見ると、公演は大好評だったと言えるだろう。
もちろん運営側や奏者達はさらなる課題を持ったことだろうし、訪れた人達も様々な感想や、今度はこうして欲しい!というそれぞれの思いや要望を抱いたに違いない。
特に第一回公演の噂を聞きつけたものの会場を訪れることができず、次こそはと思ったゲーム音楽ファンも多かったのではないだろうか。
前回に勝る多くの人が第二回公演に期待したことは疑いようがない。
しかも今回は昼夜二回という豪華な布陣での公演だ。
第一回公演で配られたプログラムには、ファミリー向け公演という記載もあった。
今も昔も子供達はゲームの大事なパートナーだ。
また、小さい頃に本物のオーケストラに触れることは教育的な観点からも素晴らしいことに相違ないし、きっと音楽の楽しさを感じてくれるだろう。
私は第一回公演を後にした時点で、次回も素晴らしい公演になるだろうと早くも期待に胸を膨らませていた。
 
しかし、時が経っても次の演奏会の情報は少なく乏しいものだった。
半年という決して長いとは言えない次回公演への期間の中、もう少し告知や宣伝をしても良いのではないかなと思ったくらいだ。
SNSやブログ等で精力的に発信していた市原指揮者も第一回公演以降は言葉少なげに感じたのも気がかりだった。
そろそろ年が明けようとする頃、ようやく第二回公演チケット発売の報せが届く。
明けて1月の初頭、私は早速昼夜公演のチケットを予約した。
チケットにはBGMフィルの他に見慣れない団体の名前が記載されていた。
公演のタイトルも替わっている。
内容が変更になったのだろうか。
気にはなっていたものの、当時はそのことが重要な意味をもつことだとは気がつかなかった。
いつもは盛り上がる奏者やファンもどことなく静かに思えたが、年末年始ということもあり忙しいのだろうと単純に考えていたし、私自身も日々の生活の中でいつしかそのことから離れていた。
3月になればまた素晴らしい演奏、見事なステージを見せてくれるということに何の疑問も感じていなかったからだ。
 
しかし。
公演まであと1週間と迫る2014年3月1日。
音楽監督を務める市原雄亮氏が自らのブログに気になる記事を投稿する。
「3月8日の公演について」と題されたその記事は公演を前にする音楽監督の記事としては異例とも言える内容だったことに驚いた。
 
3月8日の公演について http://blog.185usk.com/2014/03/post-45517.htm
 
要点としては、3月8日の公演はあくまでも指揮者としての出演であること、選曲や舞台演出への関与はしていないということだった。
いったいどういうことだろうか。
音楽監督が自らの公演の音楽に関与しないということがあるのか。
基本的に音楽監督はそのオーケストラの演奏全般や曲目の決定など音楽的な決定権を握る存在と考えていい。
もう音楽監督では無いという意味合いだろうか。
しかしそういったリリースも出されていない。
もしそうだとするならば指揮者としてタクトを振るということがあるのだろうか。
そもそも市原氏自らが立ち上げた管弦楽団であり、長く中心として支えてきただけでなく、第一回公演を無事に成功させている。にも関わらず、音楽監督が、市原氏がこのような立場に置かれることがあるのだろうか。
チケットやWebサイトに名前がある団体。
彼らが関係しているのだろうか。
そもそも彼らはどこからやってきて何をしているのだろうか。
よく見ればチケットに第二回公演の記載はない。
多くの人が今回の演奏会はBGMフィルの第二回公演だと思っているはずだ。
一体何が起きているのだろう。
何が起きたというのだろう。
様々な疑問が浮かんでは消えていく。
それは私だけでは無かっただろう。
今までBGMフィルに共感し、応援を続けていた人なら誰もが感じたのではないだろうか。
 
疑問に答えが出ないまま、3月8日の公演を迎えることとなる。
会場を訪れた私は、ゲーム音楽好きの知人と偶然出会うことができた。
現在彼女は家庭を持ち、家事に子育てにと忙しい日々を送っている。
私のSNSでの発言などでBGMフィルに興味を持ってくれたこともあり、時間を作って公演を訪れてくれていたのだ。
知っている人が自分が応援している存在に興味を持ってくれることは、何とも嬉しいものだ。
また、BGMフィルという存在がゲーム音楽を大切にしながら日々をつつましく過ごしている市井の人々の楽しみになっているという事実に、自分のことでもないのに何やら誇らしい気持ちになってしまう。
 
しかし、その気持ちはほどなく不安へと変わる。
会場に入るなり目に飛び込んできたのは、ドレスにティアラというお姫様然とした格好で手を振る、今までの公演で見たこともない女性の姿だった。
 
...コンサートプリンセス...?
 
この時点で今回の公演が予想していた以上に不安なものであることを感じていた。
なぜコンサートにお姫様の衣装を着た女性が必要なのだろうか。
少なくともそれは今までのBGMフィルからはもっとも遠い存在に感じられた。
訪れた人々も写真を撮ったり声をかけるでもなく、遠巻きにして通過して行く。
ロビーに佇むその姿は明らかにその存在が浮いていた。
彼女のせいではないだろうが、いったい何のためにいるのだろう。
知人も苦笑していたが、私は「いや、前回はいなかったよ…」と力なく説明するだけだった。
 
演奏前にマスコットキャラクターの前説。
乾いた笑いと失笑が聴こえたのが印象的だった。
そもそもBGMフィルにマスコットなどいただろうか。
新しく登場したというのだろうか。
それもまた今までのBGMフィルが遠ざけてきたものだ。
ゆるキャラ」全盛の昨今、必要ならばもっと早い段階でキャラクターを導入しただろう。
子供向けやローコンテクストを狙ったビジネスにはそういったキャラクターが効果的であることは間違いない。
しかしBGMフィルはそういう団体だっただろうか。
 
それでも、幕が開けばー
不安を吹き飛ばすようなステージがこの時点で会場に淀む雰囲気を跳ね除けてくれるに違いない。
市原氏の軽妙なトークと見事な指揮、奏者達の素晴らしい演奏が。
 
そんな希望をよそにステージに現れたのは司会を務める若い女性2人だった。
このような舞台に慣れていないのだろうか。
残念ながら進行もトークも私達が期待していたものとは異なっていたように見えた。
シナリオに問題があるのか慣れないからなのか、希薄で冗長な司会は演奏の進行と観客の演奏への集中を妨げるようだった。
曲間で2人が話し始めると、静かにしていた観客もやがてざわざわと話し始めるようになっていた。
私も長年様々なコンサートや演奏会に足を運んでいるが、こんなにも客席がざわついていたのは初めてのことだった。
今までの公演では饒舌にゲストや奏者とトークを繰り広げて観客を楽しませた市原氏とほとんど会話が無かったことも不自然だった。
それどころか、昼の部では指揮者を紹介し忘れるという大きなミスをする。
どこの世界にコンサートの指揮者を紹介し忘れる司会者がいるのだろうか。
不慣れな上に緊張したということもあっただろう。
こういう場合は影にいるスタッフがフォローし、後からでも紹介をいれて壇上で頭を下げれば済む話だ。
このことは他に問題がある可能性を示唆している。
ステージマネージャーやバックでサポートをする運営やスタッフは何のためにいるのだろうか。
可哀想なのは彼女達である。
本来なら様々な才能もあるだろう彼女達が、その日の司会では自分たちの魅力を十分に発揮したようには見えなかった。
進行や段取りなどを運営やサポートがしっかりと支えていれば、もっと輝くこともできただろう。
周りの大人達は何をしていたのだろうか。
 
やがて市原氏がタクトを振り、演奏が始まる。
 
巨大なスクリーンに次々に映し出される映像とライトによる演出。
これも今までの公演には無かったものだった。
それもそうだろう。
過剰な演出が音楽を楽しむ妨げになるのは、舞台演出を学ぶ者なら誰もが知ることであり、素人にもわかることだ。
演奏後の感想を見聞きすると、とにかくライトの光が目に刺さるようで気になったという意見が目立った。
私自身もはっきり眩しいと思うことが少なからずあったことを覚えている。
スクリーンの映像による演出も高度なものであるとは思えなかった。
少なくともオーケストラ演奏を彩るために必要な映像のレベルであるようには感じられなかった。
そもそもそれはゲーム音楽を表舞台に、と高い目標を掲げたオーケストラがすることだろうか。
また、演出に凝る割にはステージの上で撮影スタッフが目立つ動きをしていたことも気になった。
撮影は演奏者にとっても観客にとっても非常に気になる行為だ。
記録を残すのは必要かも知れないが、少なくとも観客に気になるような配置や撮影をするべきではないだろう。
 
ノスタルジアというコンセプトも気になった。
優れたゲームは時代を超えて輝くものだ。
発売されたのは何十年も前でも携帯ゲーム機やスマートフォンのリメイクで今なお現役であったり、新しいファンを獲得し続けているシリーズもある。
共通体験として考えるのも実は難しい。
ゲームの世界はすでに40年が経過しようとしており、ゲームタイトルの数もファミコンの1242本からさらに時代を経て、今や数万はあると言えるだろう。
ファイナルファンタジーが好き。ドラクエにハマった。子供の頃にポケモンをやったよね。
それは世代によってプレイするタイトルが変わり、見ていた景色が全く変わってくるだろう。
何よりも、「懐かしい」「ノスタルジーを感じる」というのは一時的な感情だ。
しかしながらプレイしたゲームひとつひとつを大切にし、その時に流れていた音楽を愛するということは永続的な感情であるといえるだろう。
とりわけゲーム音楽はゲーム機という制約を受けない。
CDで、iPhoneで、いつでもいつまででも聴くことができる。
そのゲームをプレイしたことが無くとも、大好きで大切なゲーム音楽があるという人は多いだろう。
しばらくゲームから離れている人達や、忙しくてゲーム機に向かうことができない人達も、音楽ならいつでも聴くことができる。
 
 
ゲーム音楽ファンは懐かしくて聴いているのではない。
好きだから聴くのだ。
素晴らしい曲だと思っているから聴くのだ。
 
バッハやベートーヴェンの名曲を聴いた時に「懐かしいな」とか「古いな」と思わず、新しい発見や若い時には気がつかなかった美しさを感じるように、過去も現在も越えて今なお新しい気持ちで「良い曲だな」と思って耳を傾けるのだ。
 
昼の部が終わり、会場を離れる間、周りの人達の会話から演奏は良かったけど…という会話がいくつも聞こえてきた。
会場で出会った知人が司会や演出に苦笑しつつも、演奏の素晴らしさ、自分の大切な曲がオーケストラで演奏される感動を語ってくれたことが救いになった。
本当はこんな感じじゃなかったんだよ…。
そんなことを言った覚えがある。
彼女の感動を打ち消さず、自分の複雑な感想を伝えることがとても難しかった。
そして悔しかった。
彼女のみならず、初めて訪れた人達がBGMフィルをそういう団体だと思うのではないかと。
ゲーム音楽や演奏で魅了するのではなく、それ以外のレベルの低い仕掛けで目を引くような団体なのかと。
 
この日のBGMフィルの演奏は素晴らしいと思えるものだったが、緊張感が漂うものとなっていた。
コンサートミストレスをつとめた小林明日香氏の終始張りつめた表情がすべてを物語っているように感じた。
彼女が、そしてBGMフィルの奏者達が研ぎすまされた演奏をすればするほど、私の胸中は複雑さを増していた。
なぜこんなに素晴らしい演奏をするのに、自分達の自主公演を行わなかったのだろうと。
なぜよくわからない団体に公演を委ねたのだろうと。
 
夜の部も昼の部と同様に進行し、演奏会は終わりを迎える。
 
この日一番の拍手は夜の公演で市原雄亮氏が紹介された時に贈られた。
観客のフラストレーションが一気に解き放たれたように感じた。
今までとかけ離れた公演に加え、昼の部でBGMフィル最大の功労者と言って良い市原氏を紹介しなかったということへの観客の強い意思表示でもあっただろう。
今思えばそれは、BGMフィルに手向けた観客の、私達の最後の意思表示となった。
 
ひとつだけ言っておきたいのは、私はひとつひとつの演出方法や考え方についての否定的な見解を述べているわけではない。
コンサートプリンセスにしても、本来なら私はむしろそういう無意味なことが大好きな人間だ。
気になるのはせっかくのお姫様が、観客の思い出や、音楽を楽しむための演出になっていたのかどうかということだ。
たとえば、市原氏が「休憩の間はみんなプリンセスと写真撮ってね!」とか言えば微笑ましい撮影会で休憩時を和ませたかもしれない。
司会をつとめた女性達も無理に盛り上げずに一歩引いて進行をするにとどめて演奏会の流れを壊さず、今まで長く司会の経験のある市原氏を立て、BGMフィルのメンバーとコミニュケーションを取り、観客がリラックスして演奏を楽しむ雰囲気作りをするという方法もあっただろう。
それができない人達ではないように見えたし、事実夜公演は昼よりも安定感が出ていた。
演奏中の演出に関しては他のコンサートでも未だに賛否があり、採用する演奏会もあればまったく行わないオーケストラもある。
クラシック音楽の公演では過剰な演出どころか、奏者が出て来て一礼して演奏を行い、一礼して去って行くような、演出の入る隙間の無いような公演も多い。
大げさかもしれないが、オーケストラは人類が生み出した芸術の中でも至高の存在のひとつだと私は思う。
何百年という時を生き抜いて来た楽曲、同じく長い時を刻んで来た楽器、もはや人類の歴史のひとつといって良い音楽家達に連なる奏者達。彼らは歴史上の名音楽家から綿々と連なる教育者達から学び、研鑽し、自分の一生の大部分をかけて自らの音楽技術を磨く。そんな奏者が一堂に会してひとつの音楽を作り上げるのだ。彼らの音に何かを付け足す必要があるだろうか。演出をする必要があるだろうか。
私自身は音楽が主役のオーケストラ演奏会に派手な演出は不要に感じているが、やはり派手で見応えのある演出を楽しみにしている観客も少なからずいるだろう。
もちろん、公演にもよるが、優れた演出がある公演なら時には見てみたいと私自身も思う。
それが演奏を楽しむ妨げにならないのであれば。
ライトが眩し過ぎる、ステージの見える位置でカメラが歩き回る等はステージ演出に携わる者ならそれがどういうことかわかるのではないだろうか。
今回の演奏会に共通しているのはゲームと音楽、奏者と観客への配慮の足りなさ、リスペクトの低さだった。
観客には素晴らしい演奏を聴いてもらって楽しんでもらおう。
奏者には何もかも気にせず力一杯素敵な音楽を作ってもらおう。
そういう気持ちがあったならば、今回の演出もまた異なって観客に届いたのではないだろうか。
 
今回の公演で新たに加えられた要素はどれもこれもがゲーム音楽を演奏するプロオーケストラの助けにはならず、これまで奏者と楽器だけで観客の心を動かしてきたBGMフィルには不要なものであったことは間違いないだろう。
 
私はどんな演出も趣向もコンセプトもあってかまわないと思う。
それがファンや観客を楽しませ、ゲームとゲーム音楽に敬意を払ったものであるならば。
奏者と観客、ゲームや音楽の作り手と受け手をつなぐ心があるのであるならば。
それはBGMフィルが一貫して大切にし続けてきたものである。
果たして今回の公演で観客はそれを感じることができただろうか。
その答えはあの場所にいた全ての人達に委ねたい。
 
3月8日の公演を終え、胸に去来する嫌な予感から目を背けつつ日々を過ごしていた。
同じように感じていたファンも多かっただろう。
何とかしてもう一度第一回演奏会のような素晴らしい公演を聴きたいと思っていた支持者もいたことだろう。
今まで訪れることができなかったが、今度こそ演奏会に足を運びたいと願っている人達もいただろう。
だが、予感はついに現実となって訪れることとなる。
 
2014年3月31日
 
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は終焉の時を迎えた。
 
この国に初めて生まれた”ゲーム音楽を演奏するプロオーケストラ”
彼らは誕生から2年足らず、初めてのアンサンブルコンサートから1年、そしてフルオーケストラでの第一回演奏会からわずか半年で姿を消すこととなった。
 
数行にも満たない発表は告げていた。
 
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団として市原雄亮がタクトを振り、小林明日香が、BGMフィルの奏者達がホールを響かせ、観客を熱狂させファンを陶酔させる。
 
その日が訪れることはもう無いのだと。

日本BGMフィルに見た夢(12)

■Beyond the GameMusic

私の手元にBGMフィルの第一回演奏会で配布されたプログラムがある。
艶のある真っ白な下地に落ち着いた書体を基本に作られたシンプルで品の良い小冊子だ。
ゲームの演奏会と聞くと、カラフルな画面写真やイラスト、お城やドラゴンなどのモチーフ、あるいは昔のファミコン時代を連想するようなギザギザのドット絵やフォントを多用したデザインを想起するかもしれない。

BGMフィルがモノクロを基調とした簡潔なスタイルを選んだのは、あくまでも演奏会の主は音楽であるという姿勢の表れだったのだろう。
つややかな白い紙に力強く印字された表紙をめくり、ページを開いてみよう。
代表理事と音楽総監督の挨拶文が掲載され、隣のページには演奏会に招かれたゲストの紹介が丁寧に書かれている。

ページをめくると本日のプログラムと奏者の紹介。

ずらり並んだ名曲の数々と奏者達の名前を見ながら、観客はこれから始まる演奏会に胸をときめかせていたことだろう。

さらにページを繰ると合唱指導者と「BGMフィルハーモニー合唱団」の紹介。

そして最後には次回コンサートの予告とClub JBPの案内が掲載されていた。

 プログラムには管弦楽団の音楽への考え方やセンス、力量、様々な要素が宿る。

手にした人達へ何かを伝えたいという想いが込められているものだ。

プログラムに掲載された指揮者であり音楽総監督の市原雄亮氏の言葉を紹介したい。

“ご来場、まことにありがとうございます。
2012年7月27日に誕生した日本BGMフィル、本日2013年10月11日が"オーケストラ"として活動を開始する記念日となります。この先、5年、10年と長く活動を続け、多くの方にとって身近で親しまれるオーケストラを目指してまいりますので、どうぞ声援をお願いいたします。
今日は、このスペシャルな場所にいらっしゃった皆様に目一杯お楽しみいただき、心の片隅に残り続けるような演奏ができれば、これ以上に嬉しいことはありません。
伝説はここから、です。”


BGMフィルハーモニー管弦楽団 コンサート2013  Beyond the GameMusic

かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールに集まった観客達は、演奏会最後の曲が演奏されるその瞬間を待っていた。

交響曲 アクトレイザー2013」よりAct1,2,3,6

アクトレイザー』は1990年にスーパーファミコンで発売された。
古代祐三氏が手がけたサウンドはゲームファンのみならず業界に衝撃を与えたという。
音楽で衝撃を与えたゲームは少なくないが、『アクトレイザー』はその中でも異例とも言えるだろう。

作曲した古代祐三氏はゲーム音楽界にとって生ける伝説のような存在だ。

 幼少時からピアノやヴァイオリンを学び、音楽的な訓練を受けて育ったという。

あの久石譲氏に師事したということからその実力は推して知るべしというところだろう。

高校卒業後の10代にして日本ファルコムにて商業作曲家としてキャリアをスタートさせ、『ザナドゥシナリオ2』、『ロマンシア』、『ドラゴンスレイヤーIV』、『ソーサリアン』というPCゲームの歴史を形作ってきた名作の数々、そして氏の代表作とも呼べる『イース』および『イースII』の音楽を手がける。

音楽的な実力に裏打ちされた珠玉の楽曲もさることながら、エンジニアとしてハードとソフトを知り尽くした氏ならではのサウンドの素晴らしさに当時のファンもクリエイターも熱狂し、すでに伝説的な存在となっていた。

やがてフリーランスに転じた古代氏は1990年にまだ誰も知らなかったある新作ソフトの音楽を手がける。

長きに渡ったファミコンの時代が影をひそめ、メガドライブPCエンジンといった当時の次世代機が覇を競う時代。

満を持して登場したスーパーファミコンの初期に、まだ無名といってもさしつかえなかったクインテットが開発したその作品はひっそりとした発売だったように記憶している。

当時スーパーファミコンは一時代を築きロングセラー機となったファミコンの後継機として鳴りもの入りで発売されたものの、その性能に関しては未知数だった。

「ローンチタイトル」と呼ばれる本体と同時に発売されるソフトの種類も決して多くはなく、まだその実力が十分に知られているとは言えない状態だった。

発売のわずかひと月後、たった一本の無名なソフトがゲーム業界を揺るがすような衝撃を与えると誰が予想しただろうか。

ファイナルファンタジーシリーズの音楽を手がけて来た植松伸夫氏をして「業界内のひとつの事件だった」と言わしめ、開発中だったスーパーファミコン向けの『ファイナルファンタジーIV』はサウンドの見直しをすることになる。

アクトレイザー』はまさにゲーム音楽の神話となろうとしていた。

ゲーム評論家として長く活躍されている山下章氏は「『アクトレイザー』のゲーム・カートリッジの中には、間違いなくオーケストラがいる。」と評したという。

実際にその音楽を聴くと、金管楽器木管楽器、弦楽器、打楽器といったオーケストラで使用される楽器の音色がリアルに再現されており、ずらりと並んだ楽器群が小さなカセットの中でオーケストラを編成しているような見事なサウンドを奏でている。

聴いた人なら誰でも、とりわけ今までファミコンの音源に慣れていた人は特に大きな衝撃を受けただろう。

今でこそ生音そのものに迫るサウンドを聴かせるゲーム機が普通となっているものの、当時はファミコンよりも高性能になったとはいえ、まだ楽器そのものの音、しかもオーケストレーションされた音楽を奏でることは誰もが想像してはいなかった。

本体音源の限界、容量との戦い、ゲーム音楽が越えなくてはならないハードルは無数にあった。

無論、それは『アクトレイザー』にとっても例外ではない。

楽器の波形ループを手作業で時間をかけて作成し、圧縮技術を用いて音の厚みを出す、グラフィック等に費やすマシンパワーを一時的にサウンドに回して豊かな音を奏でる…といった、気の遠くなるような細やかな技術を数多く用いることにより、『アクトレイザー』の素晴らしいサウンドは形作られている。

若きゲームミュージックコンポーザーがどれほどまでの熱情を込めていたかが時を越えて伝わって来るようだ。

その中には、氏の音楽への情熱だけではなく、エンジニアとしての探究心や好奇心、そして人間としての野心や野望といった気持ちまでが込められているようで、サウンドの一音一音を聴くだけで心が震えてくるようだ。

音楽とはいえ、あくまでもゲームの一部であるBGM。

それまでかもしれない。
しかしながら、音楽やサウンドに数々の夢や情熱、野望が込められたかのような楽曲の数々は、当時早くも固まりつつあった既存のゲーム音楽への叛逆と言っても過言ではないだろう。
そしてそれはBGMフィルに垣間見える反骨精神にどこか通じるものを感じるのだ。

明言はしていないが、BGMフィルが『アクトレイザー』の楽曲を代表曲にしたいと考えていたことは間違いないと言っていいだろう。

オーケストラを目指したゲーム音楽

そしてゲーム音楽を演奏するプロのオーケストラ。
これほどまでにふさわしい組み合わせがあるだろうか。

自らの楽曲で大きな何かを越えようとした古代祐三氏。

そして自らの演奏でやはり何かを越えようとするBGMフィル。

時代を超えて両者は重なり、この日新しい神話を作り出そうとしていた。

 

静寂の中、市原雄亮氏の指揮棒が振られる。

組曲は静謐な神殿の音楽から始まり、やがて壮大なオープニングへと繋がっていく。

ホルンが高らかに鳴り、管楽器が響き、弦が追い、美しいハーモニーを奏でる。

会場を満たす音楽の中から立ち現れるのは、大剣を手に降臨して人類を導く神の勇姿であり、立ち塞がる強大な魔物達、日々の営みの中で静かに祈りを捧げる人々の姿だ。

繊細に、時に大胆にと繰り広げられるオーケストラが聴衆の心を揺さぶり、物語を綴る。
アクトレイザー』を知る者も知らない者も、神話の始まりを感じ、作品で語られた神と人の物語を音楽を通じて感じることだろう。

コンサートミストレスの小林明日香氏が見事なソロを披露して観客を魅了し、日本BGMフィルハーモニー合唱団が迫力のあるコーラスを見せる、そしてBGMフィル全ての奏者がまさに人生を賭けて磨きあげてきた技術と彼らの中の音楽を観客ひとりひとりに届けていく。

誕生した時には一人の奏者も、名前すらも無かった管弦楽団が、今ここで素晴らしい音楽家達による大陣容で会場を音楽で満たしている。

これを神話と呼ばずに何と呼べるだろうか。

やがて最後の一音がたなびいて消え、盛大な拍手が会場を震わせる。

BGMフィルは越えることができただろうか。
彼らが越えようとしたものを。

鳴り止まない拍手と人々の笑顔、奏者の誇りに満ちた表情が全ての答えだ。

あの日会場を満たした暖かさと興奮が入り交じった拍手、そしてステージに立つ奏者ひとりひとりの何かを成し遂げた人が持つ自信に満ちあふれた表情を、決して忘れることはないだろう。

 

□アンコール

「交響組曲アクトレイザー」の興奮と拍手が収まらない中、アンコールの曲が演奏される。

聖剣伝説2』「子午線の祀り」、そして『MOTHER 2』 「Smiles and Tears」。

どちらもゲームの歴史の中でもゲーム音楽の中でも重要な作品であり、ファンが心の中で大切にしている作品だろう。

難曲といっても過言ではない曲と、そして美しい旋律が心に響く曲はBGMフィルの選曲眼の見事さを感じさせるとともに、ゲーム音楽へのリスペクトを感じるものだった。

これだけでも観客は満足し、心安らかに帰途に着いたことだろう。

驚きは次の瞬間だった。

高らかに鳴り響くトランペットの音。

観客が、おそらくすべての観客が心をときめかせたことだろう。

「序曲のマーチ」

オープニングで演奏された「序曲」は『ドラゴンクエスト』第一作目の曲だったが、アンコールのラストに披露されたのは『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の「序曲のマーチ」だった。

演奏される「序曲のマーチ」にあわせて市原指揮者が観客に手拍子を求める。

今まで様々な場所でこの曲を聴いたが、観客の手拍子とともに演奏されるのは初めての体験だった。

この瞬間、BGMフィルは何かを越えただけではなく、ゲーム音楽に新しい何かを打ち立てることに成功していた。

クラシックには記念行事などに演奏され、観客とともに盛り上がる曲が存在する。

代表的な曲として、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの最後に演奏される「ラデツキー行進曲」やイギリスのザ・プロムスで演奏される「威風堂々」などが挙げられるだろう。

私はこういった曲が海外で演奏され、観客が幸福に満ちた表情で共に楽しんでいるのを見るたびに、なぜ日本にはこういう曲が無いのだろうと常々思っていた。

だがこの日初めて気がついた。

私達にはドラゴンクエストがあるんだ。序曲があるじゃないかと。

少なくともゲーム音楽を愛する人達にとって心をときめかせ、奏者も観客も楽しい気持ちで迎えることができるこの曲があるのではないか、と。

この先、BGMフィルはもちろんのこと、他の管弦楽団が主催するゲーム演奏会でも同じようにドラゴンクエストの序曲が観客の手拍子とともに演奏されるかもしれない。

ゲームのコンサートにはつきもの、と呼べるような演奏になるかもしれない。

やがていつしか、どこの管弦楽団が始めたものともわからなくなるかもしれない。

それはゲーム音楽という世界に新しい文化を創ったということだ。

ゲーム音楽を演奏するだけではなく、新しい価値を創造することはまさに”Beyond the Game Music”ゲーム音楽を越えることだと私は思う。

第一回公演を成功させた彼らBGMフィルはこれからも何かを越え続けていくだろう。

もちろん、輝かしいことだけではなく、困難なこともあるだろう。

プロとして演奏をするならばなおさらのことだろうと思う。

乗り越えられないほどの高い壁、厳しい試練が立ちはだかるかもしれない。

それでも彼らは手を携えて乗り越えて行くだろう。

この日見事に越えてみせた、彼らなら。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団なら。

 

 

日本BGMフィルに見た夢(11)

■プレリュード

ファイナルファンタジーは不思議な作品だ。
 
1987年に第1作目が誕生して以来、ナンバリングタイトルだけでも14本を数え、聖剣伝説クリスタルクロニクルなどの派生作品を合わせれば無数の作品が存在する超人気シリーズであり、日本のRPG、ひいては日本のゲームを代表するような存在と言っても過言ではないだろう。
プレイヤーを驚かせる最先端のグラフィック。
映画のようなドラマティックな物語。
斬新な戦闘システム。
ハードの進化とともに常に最先端を走り続け、変化を恐れない。
デザインやシステム等がほぼ一貫しているドラクエシリーズとは異なり、FFに関してはゲームを知らない人に最初の作品と現在の最新作を見せても、同じシリーズとはなかなか認識してもらえないのではないだろうか。
実際にFFシリーズは物語や世界観上の繋がりは無く、クリスタルなどのモチーフや一部のネーミング、アイテムやモンスター等を除けば、個々の作品が独立しているのだという。
 ファイナルファンタジーという作品に思い入れがあるゲームファンは数多い。
しかしながら、彼らが思い浮かべるファイナルファンタジーは多様だ。
ある人はファイナルファンタジー1作目の衝撃を、またある人はIVやVIのドラマティックな群像劇を思うかもしれない。
オンラインゲームとなったXIの冒険の日々を懐かしむ人もいれば、エアリスやクラウド、ライトニングといったFF世界を駆け抜けた多彩なキャラクター達にそれぞれ思いを馳せる人もいるだろう。
登場してからすでに28年が経過する人気シリーズであり、時代とともに様々な顔を見せるファイナルファンタジーは、どれも同じ姿には見えない。
それでいてどの作品もプレイすればやはりファイナルファンタジーであることを強く感じさせるのだ。
不思議な作品と感じる意味をわかっていただけるだろうか。
 
様々な変化を見せるFFシリーズに一貫している要素のひとつ。それは音楽だ。
シリーズの大半を担当した植松伸夫氏のメロディが流れる時、プレイヤーはモニターに映し出された世界が紛れもなくFFであることを感じるだろう。
BGMフィルの第一回演奏会の第二部はファイナルファンタジーの美しい調べから始まる。
 
第二部開始前に流れ始めたその音楽を聴いた観客は驚きと嬉しさをもって迎えたのではないだろうか。

「プレリュード」。

ハープの小林秀吏氏が奏でる旋律が会場を静かに満たす中で、壇上に奏者が集まっていく。なかなか粋な演出だ。
「プレリュード」はファイナルファンタジーを代表する曲のひとつと言えるだろう。
FFをプレイした人なら誰もがそのフレーズを思い浮かべることができるのではないだろうか。
静謐で神秘的。繰り返されるアルペジオが美しく、いつまでも聴いていたいと思わせるような曲だ。
公演のオープニングはドラゴンクエストの「序曲」から始まったが、第二部はファイナルファンタジーで幕を開けるということになる。
無数のFFシリーズの中から選ばれたのは『ファイナルファンタジーIV』の楽曲だった。
「赤い翼〜バロン王国〜愛のテーマ〜オープニング」
FFIVをプレイしたことがある人なら、どの曲もゲーム中の名場面とともに思い出すことができるだろう。
もちろん、FFIVに触れたことがない人でも赤い翼の勇壮さやバロン王国の威厳溢れる響きには冒険の緊張感を、愛のテーマには大切な人との間に交わされる想いを感じることだろう。
そして「オープニングテーマ」。
ファイナルファンタジーに触れた人なら誰もが、それぞれに体験してきた冒険の数々が鮮やかに蘇るに違いない。
高らかに演奏されるオープニングテーマ。
様々な時間、それぞれの場所でプレイされてきたファイナルファンタジーシリーズの記憶と感動が、ひとつの音楽へと結ばれる瞬間だった。
 
 続いて演奏されたのは「風の憧憬〜クロノ・トリガー」。
風の憧憬は数あるゲーム音楽の中でも非常に人気の高い曲として知られている。
最初の印象深いピチカートが聴こえただけで心が震えた人も多いのではないのだろうか。
この曲はゲーム音楽の演奏会から動画サイトまで幅広く演奏されており、その人気を伺うことができる。
BGMフィルのアンサンブルコンサートでも度々披露された曲でもある。
クロノトリガー』は1995年に登場した。ハードは当時の全盛を迎えていたスーパーファミコン
同年に登場したゲームは『テイルズ オブ ファンタジア』や『ロマンシング・サガ3』、『タクティクスオウガ』などSFCのゲームが成熟を迎えていたことを伺うことができる作品が多い。
この頃のスクウェアは前年に『ファイナルファンタジーVI』を発売、他にもロマンシング・サガシリーズなど人気タイトルを次々に世に送り出し、押しも押されぬ人気ソフトメーカーとして君臨していた。
そんな同社が満を持して発売したのが『クロノトリガー』だった。
ファイナルファンタジー』の生みの親である坂口博信氏、『ドラゴンクエスト』を誕生させた堀井雄二氏、そしてキャラクターデザインには鳥山明氏という夢のような布陣。
当時のゲームファンは大きな熱狂と驚きを持って迎えたに違いない。
それも無理は無い。『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』は登場以来2大RPGとして何かと比較され続け、ライバル関係として見られていたのだから。
現在は「スクウェア・エニックス」として同じ会社の作品となっているが(それも驚きだが)、当時の空気感としてはライバル同士が手を取り合い、新しいRPGを世に送り出すというのは驚き以外の何でもなかっただろう。
それと同時に大きな期待をもって発売を心待ちにしていたファンも多かったことは想像に難くない。
SFCで人気作を立て続けに出して乗りに乗っていたスクウェアらしく、『クロノトリガー』は手堅く作られた魅力的な作品としてファンに迎えられた。現在でも大切な作品のひとつとして胸にしまっている人も多いだろう。
 
どちらもスーパーファミコン時代を代表する作品である。
ファミコン時代から格段に性能が上がったハードの力でゲームはより豊かな表現力を手にした。
グラフィックも音楽も大きく進化を遂げた。
進化を遂げたのはそれだけではない。
10年前はまだ小さかったゲーム産業は巨大化した。
初めてコンピューターゲームに触れた子供達は成長し、数多くの作品に触れてきたゲームファンの経験は豊かになり、ゲームに要求される水準は次第に高くなっていく。
ゲームの送り手達も自らの持てる力を投入し、業界に蓄積された知識や技術を作品に反映していくとともに、新たな才能が次々に現れてファンの期待に応える。
家庭用ゲーム機、携帯ゲーム機、そしてアーケードゲーム
いくつものゲーム、ハードが現れては覇を競い合い、その度にファンも送り手も業界も成長した。
バブル華やかなりし頃は過ぎ、不景気の風を感じる世相をものともせず、ゲーム界は熱狂していた。
その時代をゲームと関わって過ごした者は誰もが、あれはゲームの蜜月であったと思い返すだろう。
これから演奏される曲もそんな時代の中に生まれた作品である。
日本に初めて生まれたゲーム音楽を演奏するプロオーケストラが、自らの初公演の最後を飾る作品。
それは神の物語であるとともに、ゲーム音楽界の神話だ。
 
"Beyond the GameMusic"
彼ら自らが掲げたその言葉に感じるのは高い理想と秘めた野望、そして夢だった。
静寂の中で、観客が、演奏者達が、市原雄亮氏のタクトが振り下ろされるその瞬間を待っている。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団は「越える」ことができるだろうか。

 

日本BGMフィルに見た夢(10)

■特別な輝き

日本BGMフィルの第一回演奏会で「華龍進軍」に続いて演奏された曲。それは組曲ファザナドゥ」。

ファザナドゥ

会場に配られたプログラムを見て思わず口にした人もいるかもしれない。
演奏会にさかのぼること数カ月前、BGMフィルはアレンジコンテストの告知を出していた。
なかなか面白いことをするなあと興味深くサイトを眺めていたら、題材を見て2度驚いた。


ひいき目に見て誰もが知る作品ではない。
もちろんファミコン時代からの熱心なゲームファンならプレイしたことがあるかもしれないし、ゲーム雑誌やお店で目にした人もいるだろう。
第一回公演の中でこれまで演奏されてきた曲はドラクエやソニックなどの有名作品や、『グランディア』などゲームファンに一定の評価を得ているような作品だった。
少なくともゲームに興味がある人ならタイトルくらいは聞いたことがあるだろうという作品が続いていた。
ファザナドゥとはいったいどんなゲームなのだろうか。
 
1987年、『ファザナドゥ』はハドソンから発売された。
その頃はファミコンがまさに全盛期を迎えていた時代であり、この年には『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』、『デジタルデビル物語 女神転生』などの誰もが知る作品が次々に発売されている。
この年を含む前後数年間は現在でもシリーズの続く名作が数多く生まれており、名実ともにファミコンの黄金時代と考える方々も多いのではないだろうか。
ファザナドゥ』はそんな時代の中で発売されたソフトのひとつだ。
日本ファルコムが送り出したPCソフトの名作『ザナドゥ』を祖に持つアクションRPGである。
80年代からパソコンゲームを初めとして一時代を築き上げた日本ファルコムはゲーム会社の老舗と言える存在であり、現在も英雄伝説シリーズやイースシリーズなどの最新作を送り出している。
BGMフィルの代表理事である古代祐三氏が音楽を手がけた日本ファルコムの作品『イース』も1987年の作品である。
イース』もまたその高い音楽性が評価され、ゲーム音楽の歴史においても非常に重要な作品であるといえるだろう。
日本ファルコムは歴代の自社作品の音楽をサウンドトラックなどの豊富な音源で取り揃える他、自ら権利を持つ作品に関してオープンな姿勢を取っている。
長年の経験からゲーム自体を知り尽くしているだけではなく、ゲーム音楽の重要さを認識している現れといえるだろう。
 本来は『ザナドゥ』のファミコン移植として企画されたという『ファザナドゥ』は、PCゲーム史に残る名作として名高い『ザナドゥ』に比して、残念ながら評価を得た作品とは言い難い。
一部では良質なアクションゲームとして認める向きもあるものの、本家の『ザナドゥ』とはかけ離れてしまった姿は、「ザナドゥ」ではなく「ファザナドゥ」という別タイトルを冠するところからも伺うことができる。
後にファミコンに移植された同社の『ロマンシア』や『ドラゴンスレイヤーIV』等はそのままのタイトルで販売されているのだ。
当時パソコンは処理能力はもちろんのこと豪華なサウンドボードや大容量の記憶媒体解像度の高いディスプレイなどファミコンとは一線を画したハイスペックゲームマシンでもあった。
家庭用ゲーム機の能力が飛躍的に向上した現代とは違い、比較にならないほどの性能差がある、当時のゲーム好きなら誰しも憧れるような夢のマシンだったのだ。
そのような圧倒的な差を乗り越えて登場した『ファザナドゥ』が元の姿とかけ離れた形で世に送り出されたことは、ある意味仕方ないことだったのだろう。
もちろんPCやアーケードゲームからファミコンに移植され、高い支持を得た作品は数多く存在する。
しかしながら結果として『ファザナドゥ』は厳しい評価を受けることになった。
 
 世に生を受けたゲームの全てが祝福されるとは限らない。
ゲームはその誕生の過程において多くの制約、数え切れないしがらみ、多種多様な事情の交錯する中で生まれてくる。
その結果、望ましい形になることができず、万人の支持を得ることはもちろんのこと、さしたる評価を受けることもなく、ひっそりとゲームの歴史の片隅に消えていく作品は少なくない。
いや、そのような作品で歴史の河は満たされているとさえ言えるだろう。
全てのゲームがスーパーマリオドラクエになることはできない。
万人に愛され、輝きに満ちて時を越えることができる存在には誰もがなることはできないのだ。

そう。

全てのゲームはスーパーマリオドラクエになることはできない。
なることができるのは自分自身だけなのだ。
そしてそれぞれのゲームは有名無名・人気不人気を問わず、ひとつひとつが特別な輝きを持っている。
発売当時は見向きをされなくても時を経て評価される作品もあれば、セールスは振るわずとも一部のファンから熱狂的に支持されている作品もある。
ファザナドゥ』もそういう作品のひとつなのかもしれない。
BGMフィルは超有名作品や人気作品だけではなく、隠れた名作に光を当てて輝かせる。
彼らの持つ大きな強みのひとつと言えるだろう。
 
 『ファザナドゥ』の音楽はやはりどのゲーム音楽とも異なるような輝きをもっていた。
作曲は竹間ジュン氏。
アラブ音楽演奏家というゲーム音楽の作曲家としては異色ともいえるバックグラウンドを持ち、初期のハドソン作品の楽曲を多く手がけていることで知られている。
彼女が作曲した作品である『ボンバーマン』や『高橋名人の冒険島』というタイトルを聞けば「おお」と反応するゲームファンも多いかもしれない。
ハドソンは当時のファミコンブームを牽引する巨大な存在だった。
ファミコンブームの真っ只中を過ごした方で、ハドソンのゲームに触れずにいた人を探す方が難しいのではないだろうか。
北海道で生まれたソフトメーカーはファミコン初のサードパーティーとなり、ブームの立役者となった。
その後はPCエンジンを世に送り出し、任天堂セガといった当時の強豪とせめぎ合い、家庭用ゲーム機の大きな発展に寄与することとなる。
現在はその役割を終えてゲームの世界から去ったが、世に出た数多くのゲームは今でも様々な形でプレイされている。
また、元ハドソンの開発者達の多くは今もゲーム業界で活躍しており、第一回公演で演奏された『パズル&ドラゴンズ』のプロデューサー山本大介氏もハドソン出身である。
ファザナドゥ』はゲーム史において重要な2つの会社を両親に、『ザナドゥ』という偉大なゲームをルーツとしている非常に特異な作品でもある。
この巧みな起用からも市原氏の達見と曲選びの妙を感じることができるだろう。
 
今回の組曲ファザナドゥ」の編曲はYukimura Nishimoto氏が担当している。
ファザナドゥ』はJBPアレンジコンテスト2013の課題作品だった。
アレンジコンテストという試みは音楽界を広く見渡してもユニークで珍しいと言えるのではないだろうか。
JBPアレンジコンテストは課題のゲームをオーケストラアレンジした作品を広く募集し、特に優れた作品を表彰のうえ、日本BGMフィルハーモニー管弦楽団が実演、レパートリーとする事で、演奏を継続していく事を目的としたもの、とアナウンスされている。
ファザナドゥ』の楽曲を作曲した竹間ジュン氏を審査委員長に迎え、音楽監督の市原氏をはじめとする審査員から見事に大賞に選ばれたのがYukimura Nishimoto氏だった。
数多くの作編曲、楽曲製作を手がける音楽家であり、特にゲームやアニメの音楽の管弦楽・室内楽編曲を得意としているとプロフィールにある。
ゲーム音楽を演奏する管弦楽団との相性は抜群であったことだろう。
審査委員長の竹間ジュン氏も
"「十分に個性的で、ボリュームにも意気込みを感じる。ステージ映えするメリハリに期待大。組曲にして各曲をたっぷり取り上げたのも効果が大きい。これならばコンサートの成功に大きく貢献するでしょう。」"
と賞賛のコメントを寄せている。
ゲーム音楽のみならず、作曲家と演奏家の間には、多くの場合編曲を行う人達が存在する。
今回の第一回公演にもYukimura Nishimoto氏の他に江口貴勅氏、大谷智哉氏、荻原和音氏、島岡りを氏、羽田二十八氏、R.ミカメコフ氏といった多くの音楽家が編曲として参加している。
アレンジコンテストのような形で、ゲーム音楽のアレンジメントを広く市井に求める姿勢はBGMフィルの持つ特徴のひとつが現れている。
楽団の名前も公募にて選ばれていることからもわかるように、自分たちの力だけを拠り所とするのではなく、理想の音楽のためにはファンや企業、一般の人にまで門戸を開くというオープンな姿勢だ。
それこそがBGMフィルに風通しの良さを感じる一因だったのかもしれない。
 
  組曲ファザナドゥ」が演奏され、公演は第一部を盛況で終えた。
ドラゴンクエストの「序曲」から始まり
グランディアのテーマ」
「The World Adventure」
メインテーマ「Wonder World」
「パズル&ドラゴンズメドレー」
「華龍進軍」
そして組曲ファザナドゥ」。
 
バリエーションに富んだ選曲と素晴らしい演奏。
聴衆は心から満足するとともに、期待は高まるばかりだ。
第二部はもはやゲームファンには説明不要の名作・名曲が続く。
これを聴きに来たのだ…!と心待ちにしている観客も多いだろう。
果たしてBGMフィルは聴衆がそれぞれに寄せる想いを越えるような演奏を見せることができるだろうか。
 
時は2013年10月11日。
日本BGMフィルハーモニー管弦楽団 第一回演奏会 "Beyond the GameMusic"
第二部の幕が開く。